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016 Civil Engineering Consultant VOL.286 January 2020■ ボイルの鉄道網計画銀座や日比谷といった洗練されたまちの近くで、新橋や有楽町のガード下は、夜には昭和やレトロといった形容がふさわしい魅惑的な飲み屋街となる。新旧の歴史や文化が混在する、東京というまちを象徴する空間の1つであるが、その受け皿となっているのが、JRの煉瓦アーチ高架橋である。100 年余りの歴史を持つ赤煉瓦造りからなるこの高架橋は東京駅周辺にあり、東京~新橋間は新しん永えい間かん市街線高架橋、御茶ノ水~東京間は東京・万世橋間市街線高架橋と呼ばれ、現役の高架橋として活用されている。特に現在の大手町付近である永楽町と、現在の東新橋付近である新しん銭せん座ざ を結ぶことから名づけられた新永間市街線高架橋は、高層ビルが隣接し、その姿をパノラマ的に視認できる場所は少ない。また高架橋東側はコンクリート構造で拡幅されており、煉瓦アーチはほとんど見ることはできず、西側も経年変化や度重なる補修の痕跡から壁面を構成する赤煉瓦はお世辞にも綺麗な状態とは言えない。昼間はまちの喧騒の中で交通機関を支えながらじっと佇み、飲み屋街として主役となる夜を待っているようにも見える。歴史の蓄積を感じさせる煉瓦アーチ高架橋であるが、東京の鉄道施設の中でも開通時期は比較的遅い方である。そもそも東京の鉄道網計画は、1876(明治9)年にイギリス人技術者であるリチャード・ボイルの報告書が発端となっている。当時、新橋~横浜間は同じくイギリス人技術者であったエドモンド・モレルの尽力により開通しており、後を継いだボイルは、東京を含む国内全体の鉄道網案を報告書として取りまとめた。その中には新橋~上野を接続し、群馬県の前橋まで至るルートが既に提案されていた。ボイルの思惑通り、当時の民間企業であった日本鉄道は1883(明治16)年に熊谷~上野間を開業させる。しかし東京~新橋間となる新永間市街線の開業は1910東京を象徴する?瓦アーチ空間「新永間市街線高架橋」東京都、千代田区・港区The brick arch of the Shin-Eikan Urban Railway Viaduct is a symbol of Tokyo特集 東京を支えてきた土木施設Special Features / Civil engineering facilities supporting Tokyo株式会社オリエンタルコンサルタンツ/関東支社/都市政策デザイン部金野拓朗(会誌編集専門委員)KONNO Takuro有楽町付近の煉瓦アーチ高架橋