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Consultant286

022 Civil Engineering Consultant VOL.286 January 2020ドドリルを使用し、基礎岩盤にグラウトを注入して支持力の確保などを行った。約168万m3ものコンクリートの打込みは、忙しい時期には昼夜を問わず24時間行った。打込みでは、発熱に伴う膨張や収縮による亀裂を防ぐ温度管理が重要となるため、施工方法や材料について慎重に調査・検討が進められた。その結果、ブロック打設工法や発熱を抑える中庸熱セメントを採用するとともに、氷や冷却水を使用したプレクーリングやパイプクーリングなどの冷却工法が採用された。コンクリートに使用する粗骨材の全量と細骨材の半分は、ダム直近を原石山として砕石を生産した。細骨材の残り半分は多摩川下流の小お 作ざく付近の川砂を使用している。なお、建設工事に使用するセメントなどの大量の資材を運搬するために奥多摩駅から専用の貨物列車を走行させていた。現在は廃線となっているが、線路やトンネル、駅などの遺構が今も残る。1943(昭和18)年、第二次世界大戦の戦況悪化により工事を一時中断、1948(昭和23)年に再開されたものの事業資金の調達は円滑に行えなかった。そんな小河内ダムの建設であったが、計画決定から25年後、工事開始から19 年後の1957(昭和32)年11月26日にようやく完成した。■ 小河内貯水池完成後ダム完成後の1957~1964(昭和32~39)年、東京都は専ら多摩川を水源とする用水供給を行っており、小河内貯水池は東京に暮らす人々にとって大事なライフラインであった。しかし、高度経済成長による人口や産業の集中、生活様式の多様化などに伴って、水需要の増大はとどまるところを知らず、この時代の貯水量はいつも厳しい状況であった。そこで、当面は東京都葛飾区にある金町浄水場の施設能力を増強させる方策がとられた。また、根本的な対策として、長年の悲願である利根川からの取水に向けて着実な努力が行われ、1963(昭和38)年に利根川水系拡張事業の認可を受け、翌年起工に至った。そして、1965(昭和40)年3月に利根川・荒川間を結ぶ武蔵水路が開通し、東京都の水源は利根川水系を主とすることになった。これにより、小河内貯水池の貯水量は大きく回復していった。現在、小河内貯水池に蓄えられた水は、東京都交通局および東京発電株式会社の発電に利用された後、多写真2 小河内貯水池写真3 余水吐図3 貯水量の変化(「小河内貯水池貯水量の変化 昭和年代」より)