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Consultant286

024 Civil Engineering Consultant VOL.286 January 2020■ 並走する形の高速道路1964(昭和39)年の東京オリンピック開催に向け急ピッチで整備された首都高速都心環状線は、皇居とその南側の銀座・新橋・汐留・芝公園・霞が関を取り囲む1周15km程度の自動車専用道であり、高速道路環状線の中でいちばん内側に位置している。その利用車は日平均100万台前後にのぼり、今なお東京の交通を支えている。その中の汐留から京橋の区間には、並走するような形で接続する通称「KK線」と呼ばれる、東京高速道路株式会社が運営する約2kmの無料通行区間が存在する。なぜ首都高都心環状線があるにもかかわらず、このような運用形態の異なる区間が生まれることになったのだろうか。■ 戦後復興と車社会の到来第二次世界大戦後、日本は目覚ましい復興を遂げ、池田内閣による「国民所得倍増計画」のもと、急速な経済成長が進んだ。そして、豊かな生活は車中心の移動形態へと社会を変貌させ、車の数は、毎年3万台近くのペースで増加し、東京は車で溢れかえり、都心の道路は至るところで大渋滞が発生していた。そこで1953(昭和28)年に政府は慢性的な渋滞を解消するため、総延長49kmに及ぶ高速道路を都心に張り巡らせる計画を立案し、東京都と建設省(現国土交通省)に実行するよう勧告を行った。しかし戦後、市街化が進む都心における用地買収は難航し、計画は一向に進まない状況であった。そのような中、1959(昭和34)年5月26日に西ドイツ(現ドイツ)のミュンヘンにて開催された第55次IOC総会において、欧米の3 都市を破り東京が1964 年のオリンピック開催地に選出された。東京都心の交通環境を改善した「首都高都心環状線と東京高速道路線」東京都、千代田区・中央区・港区Tokyo Metropolitan Expressway and Loop Lines - improving the traffic environment in central Tokyo特集 東京を支えてきた土木施設Special Features / Civil engineering facilities supporting Tokyoセントラルコンサルタント株式会社/東京事業本部/企画営業部谷口史記(会誌編集専門委員)TANIGUCHI Fuminori現在のKK 線