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026 Civil Engineering Consultant VOL.286 January 2020カイビルディング計画が三菱地所社長であった樋口實みのるら19人によって東京都に出願されたのは、首都高計画より前の1950(昭和25)年のことであった。戦後復興の混乱の中、銀座周辺の再開発と交通量緩和のために、外堀を利用して地下4階、地上12階のビルを建て、地下にガレージ、1階を駐車場として、2階に2車線の道路を設け、3階以上を事務所とするスカイビルディングを建てようという計画であった。しかし、12階建ての高層ビル自体に当時の人々は抵抗感があったうえ、1.5kmにわたって千代田区と中央区を二分する形となるため反対が多く実現はしなかった。このため、樋口らは銀座の交通量緩和に加えて、地元住民への利益還元を鑑みて、このスカイビルディング計画を変更したスカイウェイ計画を、翌1951(昭和26)年に東京都に再度出願した。それは、川の効用はそのまま残し、舟航には支障をきたさないようにした浮うき御み 堂どう式の高速道路を建設するというものであった。浮御堂とは、滋賀県大津市の琵琶湖畔の満月寺にある湖上に突き出た仏堂のことである。切迫した財政状況の中、銀座の交通状況の改善に踏み切れないでいた東京都は、水面利用権を財源に替えられることから、無料で一般に開放することを条件として同年、この新たな道路計画を許可したのである。こうして、銀座の再開発はその第一歩が踏み出されることになり、計画実現に向けて1951年11月5日に東京高速道路株式会社が設立され、取締役社長として樋口實が就任した。■ KK線の位置づけと事業方式川の上に道路を造るという世界に類を見ない工事は困難を極め、当初の計画は大幅に変更されることとなった。交通専門家の研究調査により、道路の有効幅員は2 車線通行が可能な10mが必要となり、歩道幅等を見込むと当初計画より3m広い12mに変更された。その結写真4 埋め立て前の外堀図2 KK 線路線図写真5 杭打ち工事写真6 完成直後のKK 線