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Consultant286

Civil Engineering Consultant VOL.286 January 2020 033代では、300余mの塔を建てるくらい、あえて至難の技でもあるまいと考えた」と後に述べている。その言葉の通り、日本電波塔株式会社を発足し、東京タワー建設計画を実現へと進めていくのであった。前田が設計を依頼したのは、早稲田大学名誉教授の内藤多たちゅう仲であった。彼は、NHK塔以来、日本各地の鉄塔を多数手掛けた塔博士で、耐震建築の父とも言われている。パソコンも電卓もなかった時代、内藤は計算尺を手に3か月もの間、構造計算に明け暮れ、作成した設計図は1万枚に及んだ。■ 東京タワーの建設1957(昭和32)年6月に工事が始まり、わずか1年半後の翌年12月23日には完成した。実は、東京タワーの、完成時期は1959(昭和34)年初頭と決められていたため、工事は朝の6時から夕方6時まで行われ、延べ21万9,333名もの人間が携わった。鳶とびの職人たちは、鉄骨がクレーンにより所定の位置に運ばれると、接合部の穴に800度に熱せられたリベット(接合用の釘)を差し込み、ハンマーで一気に打ち付け、接合させていった。リベットは、下にいる職人が炉の中で加熱し、長い鉄製の箸ではさみ、受け手のいる上へ放り投げる。それを上にいる職人が専用の筒でキャッチする方法で運ばれた。ハンマーで打ち込む際には、強い力で何度もたたく必要があったため、リベットを打つカンカンカンという独特のリズムが連日鳴り響いた。また、東京タワーに用いられた鉄材は4,000tといわれている。戦後アメリカの軍需物資が日本の民間業者に払い下げられたため、質の良い鉄を大量に手に入れることが可能となった。東京タワーの展望台より上の部分には、アメリカ軍の戦車が鉄材として用いられている。■ 現在の東京タワー開業後、東京タワーには多くの方が訪れている。毎晩0時を目安に消灯するライトアップには、消灯の瞬間を恋人と一緒に見ると幸せになれるという「ライトダウン伝説」もあり、0 時付近であってもカップルたちが訪れる。そんな東京タワーであるが、2012(平成24)年の東京スカイツリーの開業によりテレビ塔としての役割は終えている。しかしラジオ放送のFM波は送信し続け、東京スカイツリーの予備塔としての役割も担っている。東京の観光地の一つとして、名高い構造物であり、今でも混雑時には、入るのをあきらめるほどの人でにぎわっている。これからも東京のシンボルとして立ち続けてほしい。<参考資料>1) DVD『ALWAYS 三丁目の夕日』2005年 東宝2) DVD『ALWAYS 続・三丁目の夕日』2007年 東宝3) DVD『ALWAYS 三丁目の夕日'64』2012年 東宝4)『東京タワー99の謎』東京電波塔研究会 2006年 二見書房5)『東京タワー物語』前田久吉 1959年 東京書房<写真提供>写真1 金野拓朗  写真2、3、4、5 株式会社TOKYO TOWER写真6 塚本敏行写真5 東京タワー建設予定地の芝公園平面図写真6 東京タワーの定礎写真4 完成時の東京タワー