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Civil Engineering Consultant VOL.286 January 2020 043るようになった。同時期の1903(明治36)年の都市計画において、行幸通りが重要街路に位置付けられた。東京駅が1914(大正3)年に開業し、丸の内は日本初の本格的なオフィス街へと成長していく。1923(大正12)年に初代丸ビルが完成し、周囲にも鉄筋コンクリートのビルが建ち並ぶようになると、行幸通り一帯は「一いっちょうニューヨーク丁紐育」と呼ばれるようになった。これらのビルは規制により高さ約31m(100尺)に統一されていた。丸の内スカイラインと呼ばれる統一された街並みは各国から賞賛されたという。この統一感を重視したまちづくりの精神が100 年後の今日まで引き継がれている。順調に発展してきた東京駅周辺であったが、1945(昭和20)年の東京大空襲により壊滅的な被害を受け、駅舎のドームは焼け落ちた。それでも、東京駅が2日後から営業を再開し、三菱地所が翌年から建築物の改修および新築に向けた事業を開始するなど、東京駅周辺の大丸有地区(大手町・丸の内・有楽町)は日本の復興を牽引し、それが高度経済成長へとつながっていった。その後、時代や社会の変化に応じた再開発が求められるようになり、大丸有地区の120haが再開発誘導地区に指定された。どういう街にするべきか、どう役割分担し、どう具体化するかを議論する場として、1988(昭和63)年に地権者らによる「大丸有まちづくり協議会」が設立された。1996(平成8)年には協議会、東京都、千代田区、JR東日本による懇談会も組織化され、大丸有地区の将来像を示すガイドラインの策定が始まった。ガイドラインでは、行幸通りおよび丸の内駅前広場周辺の街並み形成にあたり「アイストップ・ビスタ景観」が重視されている。「アイストップ」とは、街角や見通しの良い通りの正面にあって、人の視線を引き付ける対象物のことで、丸の内駅舎が該当する。見通し景観ともいわれる「ビスタ」とは、両側に並木や建築物が並んだ細長い眺めのことで、行幸通りから駅前広場にかけた直線部分が該当する。この2つの要素を低層部のスカイラインが統一された両脇のビル群が強調することで統一感のある景観が実現されている。環境面ではヒートアイランド対策として、駅前広場の両脇に芝生と水盤を配置し、その外側に木陰を作る樹木が植えられている。また、行幸通りの車道部分では、丸ビルの再生水を利用した散水が行われている。さらに、八重洲口の再開発にあっては、東京湾から皇居に抜ける風の道にも配慮し、12階建てだった鉄道会館ビルは「グランルーフ」と呼ばれる大屋根を持つ底層ビルに建て替えらた。東京駅ならではの強み「時空の厚み」を活かしながら、様々な事業主体の関係者が情熱をもって東京駅周辺を今後も進化させていくだろう。機会があれば途中下車してみてほしい。<参考資料>1)「東京都建設局 報道発表資料」(http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2018/11/01/06.html)2)『進化する東京駅-街づくりからエキナカ開発まで-』野崎哲夫 2012 年 交通研究協会3)『大手町・丸の内・有楽町地区まちづくりガイドライン2014』大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり懇談会 2014年<図・写真提供>図1 著者作成  写真1、2、6、7 加地智彦写真3 土木学会附属土木図書館写真4 塚本敏行  写真5 有賀圭司写真3 戦前の丸の内口写真4  歩行者空間がなかった頃(2013 年)写真6 路面散水によるヒートアイランド対策写真5 駅前広場整備後写真7 水盤と芝生によるヒートアイランド対策