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人類の歴史上、都市という概念が生まれた時から、都市の継続と発展を支えてきたのは土木技術でした。それは、写真家として都市の記録を続ける中で私自身も実感してきたことです。私は戦後70 余年、定点観測式撮影法という、同じ場所を継続的に写真に収める手法により、東京を中心とした都市の復興と発展をありのままに記録してきました。私が定点記録写真を始めようとしたきっかけは、戦争で焦土と化した祖国の姿を目の当たりにしたためです。第二次世界大戦終戦直後の東京は、今では考えられないくらい混沌としていて、国会議事堂の周りでは自給自足のための自家栽培の畑が点在し、私も空腹を凌ぐため、同僚たちと道端の草や木の芽を摘んで食べたこともありました。銀座では多くの商業施設がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により接収され、街の交通標識は全て英語が併記。アメリカ人と日本人の格差は大きく、このままでは日本という国がなくなってもおかしくないという危機感と隣り合わせの時代だったのです。そうして、祖国の都市の姿を何としても残さなくてはという使命感の下、私は人事院創設の折に設けられた広報課写真室のただ一人の専属カメラマンとして、日々、取材のために東京を走り回っていました。人事院で写真室が廃止された後も個人として記録を続ける中で、目覚ましい東京の復興を見つめ続けてきました。特に、1964 年の東京オリンピックを契機に、考えられないようなスピードで建設された首都高速道路は都市の景観をがらりと変えました。舗装もまだされていない土埃の舞う車道に、首都高速道路の橋脚が一定の間隔で一つ、また一つと現れ、東京の交通網の骨格ができあがってゆく姿は、どれだけ多くの人々に希望を与えたことでしょう。都市の骨格を形づくるという行為は、つまり国づくりそのものです。例えば、現在の東京中の地上、地下共に張り巡らされた線路は、世界を代表する都市としての個性がよく表れていると思います。これほど駅を中心として発達している都市は世界でもまれです。もちろん、各国で都市の中心となる駅は存在します。しかし、東京ではそのターミナル駅の数が多く、かつ駅を中心とした街の表情は個性に富んでおり、そうしたホットスポットが密集しているのです。公共交通機関に乗って少し移動すれば、歴史風情を感じられる場所から、テレビ広告や商業施設が並ぶ賑やかな場所まで簡単に移動することができるのですから、テーマパークと称されることもある東京は外国人観光客にとって刺激の多い都市でしょう。このように日本の都市では交通網が非常に発達していますが、日本は資源が乏しい上、地震や暴風雨などの自然災害も多く、厳しい自然環境と常に隣り合わせにあります。しかし、振り返れば、東京では軟弱地盤、高低差のある地形、河川の氾濫といったあらゆる障害を、徳川家康の時代より、地道に繰り返されてきた土木工事とともに乗り越えてきました。全国各地で、大きな都市から山間の小さな町まで、それぞれの土地で紡がれてきた歴史の中で生活の発展の根幹には常に土木技術が結びついています。そうした先人たちの努力の上に、今の豊かな暮らしが成り立っているのだということを決して忘れてはいけません。東京を支えてきた土木施設特集戦後70 余年、土木技術が支えた日本の発展006 Civil Engineering Consultant VOL.286 January 2020