日本の土木遺産

金城の石畳道
緩やかなカーブを持つ金城の石畳道
■ 緩やかなカーブを持つ金城の石畳道

琉球王国時代に造られた石畳「金城の石畳道」

琉球石灰岩の石垣と金城の石畳道
■ 琉球石灰岩の石垣と金城の石畳道

沖縄県那覇市金城地区の石畳道は、戦災を免れ約500年前の琉球王国時代から残る街道である。両脇には赤瓦の屋根や石垣など昔からの面影が残る人気の観光スポットであり、沖縄県指定記念物として大切に保存されている。かつて琉球王国時代には、首里城付近や首里城を基点として数多くの石畳道や石橋があった。
宿道(しゅくみち)と呼ばれた首里城と間切(まぎり)(現在の市町村)を結ぶ主要街道は、道幅が2.4m(8尺)以上あった。特に首里城を起点とし、南西約3.5kmにある国場川(こくばがわ)を渡る真玉橋(まだんばし)を経て那覇港南岸の住吉町までを結ぶ延長約8kmの道は「真珠道(まだまみち)」と呼ばれ、現在の金城の石畳はその一部である。真珠道は、首里城南側の上間(うえま)や識名(しきな)地区を通る唯一の道であった。往時は人馬の往来が多く、道の中間地点ではユサンディマチ(夕方の小市場)が開設され賑わったという。道幅は3.0〜5.3mあり、宿道の定義からするとかなり広い幅を持つ道で、当時は大道と呼ばれていた。
真珠道は第2次世界大戦や戦後の道路整備によりほとんどが消滅したが、金城の石畳道は、近年まで往来が盛んで主要街道としての役割を果たしてきた。金城の石畳道は、ここで生活してきた人々の道普請という奉仕活動によって維持され続けてきた土木遺産である。

【アクセス】
ゆいレール首里駅から首里城公園を右手に徒歩約20分。

【地図】
googleマップで金城の石畳道の位置を確認する

「Consultant」238号

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