誰しも聞き及びのある「アレクサンドロス大王の東方遠征」。これによって、ギリシャ文明は東方に伝わったばかりでなく、ペルシャやエジプトなどのオリエント文明と融合し、いわゆるヘレニズム文化を創る契機となった。エジプトの都市アレクサンドリアは、アレクサンドロスが紀元前332年にエジプトを征服した際に建設を命じた兵士のための新都市である。しかし同年、彼は謎の死を遂げる。王の死後、都市建設にあたったのはプトレマイオス1世王だった。こうして古代エジプト史で最後の、ギリシャ人による王朝の新たな都が建設され、エジプトの都はナイル河畔のメンフィスから地中海に面したアレクサンドリアに移された。紀元前60年頃のアレクサンドリアの人口は100万人に届くほどの巨大都市であったと推測されている。
アレクサンドリアには港も建設された。沖合のファロス島まで1,260mの堤防を伸ばし、その両側を港とした。今ではこの堤防の両脇は砂が溜まり、ファロス島が陸続きの半島になっているが、両側に設けられた港湾は、現在に至るまでエジプトの中核港として機能し続けている。
アレクサンドリアはローマ帝国の衰亡とともに、7世紀以降はイスラムの波にさらされた。ギリシャ・ローマの街並みは目抜き通りとなる道路の道幅を狭くして網の目のように路地を張り巡らせたイスラム都市に変貌していった。
【アクセス】
カイロラムセス駅より約4時間で鉄道アレクサンドリアマルス駅へ。又はカイロからバスで約3時間。
【地図】
googleマップでアレクサンドリアの位置を確認する
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