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写真7 ?夕日に映える奇跡の一本松3「ノーマライゼーションという言葉のいらないまち」のアクションプランや進捗状況などを報告することができる。もともと陸前高田市は他の東北沿岸被災地と同様に、震災前から少子高齢化や雇用不足に悩んでいた。昭和31年に3万3,000人と市政開始以来ピークだった人口は、東日本大震災前には2万4,000人と3割も減少し、現在の高齢化率は33%と、3人に1人は65歳以上という高齢化が進んでいる。長期的には「定住人口」の増加を目指すが、いきなりは難しい。まずは「交流人口」の増加により、地域経済の活性化を行うことが重要だ。そのためのツールが、7万本からたった1本生き残った「奇跡の一本松」や今後整備する予定の復興祈念公園である。東日本大震災による大津波を経験した陸前高田から、少しでも教訓を学んでもらいたい。そして、日本各地、そして世界のどこであっても、二度とこのような被害を出してほしくない。このような願いを持つ地域住民が修学旅行生や企業研修生、全国の防災関係者を迎える。ニューヨークでお会いしたワルストロム国連事務総長特別代表や外務省とも現在協議を行い、国連防災世界会議の部会やワークショップの開催を陸前高田市で行いたいと働きかけている。各国の政府関係者や防災関係者の当地への訪問は、こうした構想に向けた大きな一歩となるのではないか。障がいのある人もない人も、誰もが住みやすいまちバリアフリーで最も重要なのは段差解消などのハード面ではなく、人々の意識も含めたソフト面だ。もし、街なかに出ても誰もが笑顔で障がい者の移動やコミュニケーションに手を貸すならば、障がい当事者は喜んで街なかに出掛けていくだろう。その意味では、人々の「考え方」がバリアフリーにならなければならない。陸前高田市だけではないが、一部の障がい者は健常者の生活の場から離れて生活していたのも事実である。しかし、これからはスポーツの場や生活の場でも、不自由を抱える人たちが普段から溶け合うように社会を形成し、お互いを理解しながら生きていくことが重要だ。これが普段からできていれば、震災のような非常時でもうまく機能するだろう。多くの市民が犠牲となり、口にできないような不自由まで経験した陸前高田市だからこそ、障がいのある人もない人も、そしてそれ以外の不自由さを抱える人も含め、誰もが住みやすいまちづくりを目指さなければならない。私たちが目指すのは、住民が望んでいる住宅再建をはじめ、被災した施設や設備などのインフラの復旧が最優先であることは言うまでもない。しかしそれだけでなく、障がいのある人もない人も、誰もが住みやすいまちを目指し、弱者にも優しい防災文化を発信することが、大震災の風化を防ぐことにもつながるのではないだろうか。写真8 ?2 0 13年1 0月に陸前高田市内のホテルで開催された日本財団・日本障害フォーラム主催の「障害者と防災シンポジウム」。車椅子の高田第一中学校生からワルストロム国連事務総長特別代表にメッセージを手渡したCivil Engineering Consultant VOL.263 April 2014021