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にかほ市平泉町おくのほそ道第7回株式会社片平エンジニアリング/道路交通部大角直Ohsumi Tadashi(会誌編集専門委員)大石田町山形県宮城県岩沼市交通の要衝「岩沼」新潟県ふたきみつきご『桜より松は二木を三月越し』福島市福島県須賀川市白河市栃木県茨城県下関山口県島根県広島県尾道鳥取県岡山県香川県京都府兵庫県明石大阪府奈良県賀県福岡県愛媛県高知県徳島県和歌山県大分県熊本県宮崎県鹿児島県1江戸時代の竹駒寺と竹駒明神。曾良の随行日記によると、芭蕉は竹駒明神の前を通り昼頃、武隈の松を見ている阿武隈川の河口に位置する宮城県岩沼市。江戸時代たけくままでは「武隈」と呼ばれ、724(神亀元)年に多賀城が築城される以前から国府があったとされている。古くから、陸奥国(東北地方)と江戸・京都を結ぶ地として栄えてきた。芭蕉の句にある「松は二木」とは市内にある「武隈の松(二木の松)」を指し、数多くの詠歌で知られる屈指の名松である。しかし、近隣の「竹駒寺」を開山した能因法師(平安時代中期の僧侶・歌人)が「松はこのたび跡もなし」と詠むほど、枯れたり、植えたりを繰り返してきた松である。1689(元禄2)年5月4日(現在の6月10日)、芭蕉はこの能因法師のことを思い浮かべながら、必ず見られるとは限らないこの松に、期待と不安を抱きながら岩沼の地へと足を踏み入れた。そして千年近くの時代を経て、いくつかの困難を繰り返しながらも、この地でしっかりと根元で結ばれ二方向に高く聳える松に感激し、江戸を出て3ヶ月間待った甲斐があったとこの句を詠んだ。この句は、弟子の挙白からの餞別の句に応えて読んだもので、松を見る「希望」がかなった芭蕉の思いが込められている。ちなみに、この松の近隣にある「竹駒明神(竹駒神社)」は平安時代初期の842(承和9)年、役人・歌人でおののたかむらあった小野篁が国司として赴任する際、伏見稲荷大社に詣で、陸奥開拓の守り神として、この地に創建されたと伝えられている。江戸時代にこの地を治めていた伊達家の歴代当主や岩沼藩主であった古内家からのあつい030Civil Engineering Consultant VOL.263 April 2014