ブックタイトルConsultant_264

ページ
28/66

このページは Consultant_264 の電子ブックに掲載されている28ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

Consultant_264

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

Consultant_264

にかほ市平泉町おくのほそ道第8回いであ株式会社/建設統括本部水圏事業部/河川部松田明浩MATSUDA Akihiro(会誌編集専門委員)大石田町山形県宮城県仙台市岩沼市芭蕉の辻「仙台」わらじ『あやめぐさ足に結ばん草福島市新潟県福島県須賀川市白河市鞋の栃緒木県』茨城県下関山口県島根県広島県尾道鳥取県岡山県香川県京都府兵庫県明石大阪府奈良県県福岡県愛媛県高知県徳島県和歌山県大分県熊本県宮崎県児島県1往時の芭蕉の辻(芭蕉の辻に立つ石碑にあるレリーフ)仙台市街を東西に走る目抜き通りの青葉通りから国分町通りを一本入ってほどなく、「芭蕉の辻」という十字路がある。この名称の由来は定かでないが、かつてここに芭蕉樹があったためとか、繁華な場所であったがゆえの「場所の辻」の訛ったものとか、「芭蕉」という虚無僧が近くに住んでいたからとか、諸説が伝えられている。「芭蕉の辻」は、古くは「札の辻」とも呼ばれていた場所で、江戸時代から仙台城の城下町の町割の基点とされていた。南北に奥州街道(現在の国分町通り)、東西は広瀬川を渡り仙台城大手門へまっすぐ続く大町通りとなっており、まさに城下の中心であった。辻には立て札が掲げられたため当時は「札の辻」が正式名称であった。辻に面した建物は仙台藩がその威光を、街道を行き交う人々に示すために、四つ角全てが城郭風の高楼を備えた同じ形状となっていた。辻を中心に藩の御用商人が軒を連ね、藩の両替所が設けられるなど、仙台城下町の経済の中枢として機能していたという。当時仙台で活躍していた俳人の大淀三千風は、1682(天和2)年発刊の『松島眺望集』で「芭蕉の辻にこぼれあまる宝の市」と「芭蕉の辻」のにぎわいを紹介していて、当時から仙台を代表する繁華街として、有名な場所であった。時代が変わっても、明治から大正・昭和初期に至るまでこの地は仙台の中心であり続けた。仙台市の主要な卸売業、小売業、金融業などはこの界隈に集まっていた。しかし市街地のほとんどが米軍の爆撃によって焼失し、戦後に復興道路として大幅員の「青葉通り」や「広瀬通り」、仙台駅周辺の開発や国道4号バイパスが仙台駅東方にできることなどにより、高層ビルなどがこれら大通り沿いに建てられるようになった。そのため「芭蕉の辻」は次第に仙台を代表する町の中心から、そ026Civil Engineering Consultant VOL.264 July 2014