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3(上)現在の芭蕉の辻。右の建物は日銀仙台支店、写真左側にも銀行や保険会社が立ち並ぶ。左下はこの辻に建つ奥州街道の道標と芭蕉の辻を示す石碑2(左)明治末の芭蕉の辻5(右)戦災で焼失前の仙台城大手門。曾良の日記には仙台城内にある亀ヶ岡八幡宮へ参拝した記録がある4(下)現在の仙台城大手門の地位を周辺に譲り、大通りから一本入った路地の交差点のような趣となっていった。現在、辻の傍らには、奥州街道道標と仙台の中心「芭蕉の辻」であったことを示す記念碑がひっそりと佇んでしちじゅうしちいる。周囲には日本銀行仙台支店や七十七銀行旧本店(現在は芭蕉の辻支店)が隣接し、ここが仙台の金融の中心であったことを今に伝える。しかし視野を広げると、辻の西側は仙台駅にかけて老舗デパートやアーケードが続く商業中心地で、北側に広がる国分町は、仙台どころか東北最大の歓楽街として全国に知られ、この辻が今なお江戸当初の町割り以来の仙台の中心地であることがわかる。『おくのほそ道』の仙台の項で詠まれている冒頭の句は、芭蕉が仙台を発つときに旅の安全を願って贈られあやめた、季節の菖蒲をあしらった風流な草履に感服した際のものといわれている。同行した曾良の日記では名取川を経た後、長町の宿を過ぎて若林川(広瀬川)をわたって仙台城下へ入り、北上して夕暮れに国分町の旅籠に宿泊したと記されている。芭蕉は奥州街道からこの「芭蕉の辻」に至り、国分町の宿で数泊した。そしてここを拠点に知人の消息を尋ねたり、仙台周辺の名所を訪れている。おそらく、その度にこの「芭蕉の辻」を往来したのであろう。時期は端午の節句の頃。家々の軒先には鮮やかな菖蒲が飾られ、おくのほそ道ならぬ、にぎやかな往来となっている自分の俳号と同じ「芭蕉」の名を持つこの辻で、芭蕉は何を思ったのだろうか。時代に想いを馳せて交差点を眺めると、様々な人がそこを往来したことが目に浮かぶようである。<参考文献>1)?国宝大崎八幡宮仙台・江戸学叢書『松尾芭蕉と仙台』梅津保一平成26年1月大崎八幡宮仙台・江戸学実行委員会<取材協力><写真提供>1)?仙台市戦災復興記念館1、3、4松田明浩2)?仙台市博物館2、5仙台市戦災復興記念館Civil Engineering Consultant VOL.264 July 2014027