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写真3 ?旧大日影トンネル貫通式(『写真で見るふるさと勝沼』より)写真4 ?開業当初の勝沼駅(『写真で見るふるさと勝沼』より)起工、1903(明治36)年に開通した。1902(明治35)年2月5日の大日影トンネル貫通式の写真が残されており、甲府側出口前に勢揃いした工事関係者の晴れやかな姿がうかがえる。入口上部に嵌め込まれた額には、起工と貫通の記録が記されている。右手に積まれているのは、多量に使われたレンガの残材である。トンネル内部のレンガは、ほとんどがイギリス人技師の指導で造られたため、一段ごとに縦と横を交互に使うイギリス積みで、アーチ部が長手積みとなっており、一般の建造物に比べれば二重三重の堅牢な積み方になっている。中央本線のトンネル工事で使われたレンガは、信越本線碓氷峠のトンネルで使用した当時最高品質の埼玉県深谷レンガと異なり、多少品質が劣るものの地元で焼かれたものが多い。レンガの運搬が自由にならない当時は、それぞれ工事現場の近くで試行錯誤しながら造られた。近隣の牛奥村(現甲州市)にはレンガ工場があった。また小佐手村(現甲州市)には、レンガ用粘土の採掘場跡と伝えられている所もある。写真5 ?旧線と勝沼駅のホーム跡■3本のトンネル旧大日影トンネルは1931(昭和6)年には電化されたのち、1968(昭和43)年の複線化に伴う上り線用トンネル建設により、下り線専用になった。そして1997(平成9)年、列車の時間短縮等のため、さらにすぐ隣に新トンネルが建設され、下り線として使われていた旧大日影トンネルは閉鎖された。しかしその後、2005(平成17)年にJR東日本より旧勝沼町に無償譲渡されたこの旧トンネルは、2007(平成19)年、国土交通省まちづくり交付金で整備され、遊歩道として一般に開放された。そのため、JRの二つのトンネルと、この旧トンネルの3本の大日影トンネルがこの地に存在しているのである。写真6 ?新トンネルを通過中の列車(右が旧大日影トンネル)■トンネルの中勝沼ぶどう郷駅西側には旧ホームや線路跡が公園として整備されている。その東京側には電気機関車の展示もある。さらに200mほど先に行くと大日影トンネルの坑口があ042Civil Engineering Consultant VOL.264 July 2014