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写真4ダレの喫茶店写真5サンタクルス墓地と虐殺事件の看板モール代表の試合等が開催される。入場は無料。照明塔に上ったり、車の上から見たり、家の屋根等から観戦する人が多い。東ティモール国の歴史16世紀頃から約4世紀の間はポルトガルの植民地であり、第二次世界大戦時に日本が占領し、戦後ポルトガルの植民地に戻った。そのためか、東ティモールのほとんどの人はカソリック系キリスト教徒である。ディリから車で30分、ディリを見下ろすことができる標高400mの国道2号線沿いにあるダレ(Dare)には、大戦中、撤退せずに小部隊で日本軍と対峙したオーストラリア軍の基地跡があり、現在は記念碑が置かれ、隣に喫茶店があった(写真4)。1975年にポルトガルの植民地支配が終わった後の24年間はインドネシアが侵略し統治した。その間、東ティモール人によるインドネシアに対する独立運動が継続され、特に1991年に起きたサンタクルス墓地大量(写真5)。1999年から独立戦争が始まり、2001年に独立国家としてスタートしたが、2005年に国連の平和維持軍が撤退すると、翌年には元国軍兵士や若者が政府庁舎を焼き討ちしたことで内乱状態に陥った。2007年8月の総選挙で、当時大統領だった独立闘争の英雄シャナナ・グスマン大統領は、象徴的で実権のない大統領職を辞めて、政権の実権を握るために野党を率いて、それまでの与党フレテリンと戦い、総理大臣になった。痛んだインフラディリ市内には、今でも多くの破壊されたままの公共建物がある(写真6)。内乱が続くと、道路や橋の維持管理ができないため、路面は荒れた状態になる。国道2号線のアイナロでは、急峻な崖があるジャカルタ・セカンドという地点で、地すべりが進行して道路の一部が崩壊していた(写真7)。2013年9月、ディリ市内に多くの交通信号機が設置された。2年前にヘラ発電所が完成し、停電が少なくなり、電気事情が良くなったので設置が可能になったようだ。しかし、信号機は交差点の手前に設置されていて、最前列の運転手には信号が見えない。治安滞在中の2012年8月に2回目の総選挙があった。その際、投石に遭わないよう、危険場所に近づかないよう注意を受けていた。選挙はシャナナ・グスマン総理大臣側が勝利し虐殺事件は有名である写真6ディリ市内の破壊されたままの公共建物写真7ジャカルタ・セカンドの地すべり046Civil Engineering Consultant VOL.264 July 2014