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写真1公園の典型的な禁止看板公園はその後、都市計画の一部として「計画」され「建設」される対象となり、役割や機能が求められるようになっていったが、日本の公園がその始まりにおいて、ゼロから建設されるのではなく、既にある場所を公園と見なすことから始まったのは示唆的である。禁止看板が示す矛盾ところが今日、近所の街区公園をあらためて訪れてみると、まず目に付くのは「禁止事項」のサインである。イラスト付きの看板が、公園でのさまざまな行為を「禁止」している。いわく、ボール遊び禁止、大声で騒ぐこと禁止、花火禁止、犬の放し飼い禁止。公園の入り口には自転車の侵入を阻む金属の車止めが設置されているし、ベンチには寝ころび防止の仕切り板が取り付けられて、ホームレスの人の長居を拒んでいる。こういう有形無形のメッセージは、一度意識すると気になり始め、次第に気持ちが沈んでくる。リビングルームであるはずの公園が、なぜこんなことになっているのだろう。例えば住宅が隣接しているというような公園の立地条件や、清掃や安全責任などの維持管理の都合も「禁止事項」を増やす理由になっているだろうが、何よりも問題なのは、限られた面積のなかで、公園に期待されるいろいろな物事が競合してしまうということである。本来、リビングルームとして「何でもあり」である公園は、それゆえに様々な意味や機能や行為を受け写真2二子玉川公園の住民参加ワークショップ入れざるを得ず、できるだけ多くのものを受け入れるために様々なものを制限しなければならないという事態に陥っている。水辺の生き物が生息する場としてのビオトープと、子供が安全に遊びまわることができる広場や遊具とは相容れないが、どちらも私たちが公園に期待するものごとである。ベビーカーの乳幼児と、缶けりをする小学生と、スケートボードを抱えたティーンエイジャーは同居できないが、いずれも公園を使う「子供たち」である。ある特定の人の特定の行為を許すことが、異なる人の別な行為を阻害してしまう。これは「公」とは何か、という根本的な議論も喚起する、なかなか難しい問題である。東京都心のある公園で、民間資本の導入によって既存の公園を運動公園に整備する際に、ホームレスの人々の排除が問題化し、反対運動が起きたことはまだ記憶に新しい。公園はこのような矛盾を孕んだ存在でもある。使う人が提案する公園ある場所で何かを「禁止する」というのは、その施設を提供する側が使い方に条件をつけるということだ。つまり、禁止事項が掲示されるのは、公園を提供する側と利用する側の立場がはっきり分かれていることと、両者にあまり意思疎通がないことを示している。使う人が作る人でもあるような公園であれば、禁止看板的な硬直はずいぶんほぐれるはずである。そうした試みの事例を二つほど紹介したい。Civil Engineering Consultant VOL.264 July 2014007