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にかほ市平泉町おくのほそ道第9回扶桑第一の景勝地「松島」大石田町宮城県日本工営株式会社/コンサルタント国内事業本部/品質・環境管理室山形県仙台市松島町平田潔HIRATA Kiyoshi(会誌編集専門委員)岩沼市新潟県栃木県福島県須賀川市白河市茨城県福島市『松島や鶴に身をかれほとゝぎす曾良』下関山口県島根県広島県尾道鳥取県岡山県香川県京都府兵庫県明石大阪府奈良県福岡県愛媛県高知県徳島県和歌山県大分県熊本県宮崎県島県1津波で崩壊した雄島に渡る昔の渡月橋そら弟子の河合曾良を伴い、1689(元禄2)年の春頃に江戸深川を発った松尾芭蕉は、41日目の5月25日(新暦6月25日)の昼近くに塩釜から船を借り松島へ到達した。松島には260余りの島々があり、平安時代から歌枕えんぷくじの地として知られ、鎌倉・室町時代には円福寺(現在ずいがんじの瑞巌寺)・雄島を中心に霊場として栄えてきた。江戸時代になると、安芸の宮島、丹後の天橋立とともに「日本三景」の一つに数えられ、1952(昭和27)年に国の特別名勝に指定される。ふそう芭蕉は「扶桑(日本)第一の好風」と賞賛し、あまりことばの絶景に「造化の天工、いづれの人か筆をふるひ詞を尽さむ」とし、句を詠まなかったと言われている。曾良はこの絶景に「この壮大な松島には鶴が似つかわしい。そこで鳴いているほととぎすよ、鶴の衣をまとって、優雅に見せてくれ」と感嘆して前述の句を詠んだ。仙台に城を築いた伊達政宗は、塩竈神社など代表的な寺社を造営・整備した。長らく荒れ果てていた円福寺は、瑞巌寺として1609(慶長14)年に復興した。桃山建築の代表的なものとして国宝や重要文化財に指定されている。古くから松島の観光は、塩釜から船で遊覧して松島海岸に着くのが一般的で、芭蕉もこのコースをたどった。海岸には観光客を宿泊させる旅館が当時からあった。しせん松島の道路は、奥州街道の枝線である浜街道に属し、そこから各街道の分岐点となっていたため、塩竈神社や金華山参りの際に多くの人が通った。仙台藩の塩田があり、江戸へ米を運ぶための中継地だったため、藩の役人や商人などが泊まる旅館等もあり、大変賑やかな宿場となっていた。1890(明治23)年には、東北本線の松島駅が営業を始め、これに合わせて道路の整備も行われ、多くの観光客が松島を訪れるようになった。1944(昭和19)年に028Civil Engineering Consultant VOL.265 October 2014