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3(上)現在の松島海岸通り(国道4 5号)2(左)昭和初期の松島海岸通りの町並み5(右)1956年の東北本線新松島駅(手前)と仙石線(中央)4(下)現在のJR東北本線松島駅は塩釜-松島間の鉄路ができ、国道45号となる道路の整備も進んだ。東北本線は、1962(昭和37)年に山まわりの線路が廃止されて、現在のルートとなった。さらに、バイパス道路をはじめ、多くの道路も整備され、三陸自動車道は、2002(平成14)年に仙台東部道路とつながった。2011(平成23)年3月11日の巨大地震による大津波は、東日本の太平洋沿岸に壊滅的被害をもたらした。松島は260余りの島々に守られ奇跡的に被害は少なかったが、震度6弱の地震と最大3.8mの津波に襲われた。震災当日、海岸部には約1,200人の観光客がいたが、裏山に避難し、一人もけが人を出すことなく、4日目までに全員無事に帰路につけた。松島の島々は大きな変化はなかとげつきょうったが、雄島に架かる渡月橋が津波で崩壊(2013年に再建)し、遊覧船も26隻が桟橋ごと流された。国宝瑞巌寺を始めとする歴史的建造物群は、幸いなことに津波被害は少なかったが、趣きのある瑞巌寺参道の杉並木の1/3が津波の塩害により枯れた。しかし震災4か月後の7月末には、観光施設等95%の施設が復旧し、松島には津波が来なかったと錯覚させるほど、穏やかで美しい景観を取り戻している。松島が早期に復旧・復興することが東北・被災地の復興につながると信じ、多くの地元の関係者やボランティアが努力した賜物である。古くから文人墨客が訪れた松島が、今後も、地元の人々の努力により美しい景観と町並みを保全してゆかれることを望んでやまない。<参考文献>1)?『松島町史』松島町史編纂委員会平成3年3月2)?『松島町誌』松島町誌編纂委員会編昭和48年3月3)?『松島の昔と今』ふるさと松島を知る会昭和56年3月4)?『松島観光の震災と復興』佐藤久一郎貿易研修センターホームページ(http://www.iist.or.jp/jp-m/2013/0216-0882/)2013年2月<取材協力>1)松島町総務課・教育課・文化観光交流館・勤労青少年ホーム2)瑞巌寺<写真提供>1、2、5松島町役場3、4平田潔Civil Engineering Consultant VOL.265 October 2014029