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ヒゼキア王の水道トンネル第64回聖都を支えたヒゼキア王の手掘りの水道トンネルイスラエル・エルサレム日本工営株式会社/コンサルタント海外事業本部/チーフプランナー-山田耕治/YAMADA Koji■歴史都市エルサレム地中海に面するイスラエルの都市テルアビブから内陸に入り、標高800mほどの丘陵の上にエルサレムはある。一帯は年間の降水量が600mm程度の乾燥地域で、岩石が風化した黄土色の荒野である。エルサレム旧市街地は1981年にユネスコの世界文化遺産に登録されている。エルサレムはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教のいずれの宗教にとっても重要な聖地である。キリスト教の史跡には「聖墳墓教会」が、ユダヤ教の史跡には「神殿の丘」と「嘆きの壁」が、イスラム教の遺跡には「岩のドーム」などがある。しかしそれらは複雑に交差しており、ユダヤ教の聖地「神殿の丘」の上にイスラム教の「岩のモスク」が建つ。エルサレムは紀元前30世紀頃、既に古代バビロニアの文書にウルサリムとして登場する。紀元前1000年頃、第2代ユダヤ王となったダビデが群雄割拠の南北イスラエルを統一。そして、王国のほぼ中央に位置したエルサレムに侵攻し、ここに神殿を築き、ユダヤ王国の首都とした。なぜ、内陸の乾燥地にあるエルサレムは、歴史上重要な都市としてあり続けることができたのであろうか。■エルサレム攻略ダビデ王がエルサレムを攻めた頃、エルサレムはエブス人の住む小さな町であった。『旧約聖書』のサムエル記などによれば、攻略の日、ダビデ王は「エブス人を撃つものはすべて『ツィンノール』をもってせよ」と言ったと書かれている。このツィンノールという語は長らく大滝とか激流、あるいは水路などと訳されていた。町の水源は崖下にある「ギホンの泉」と呼ばれる湧水で、これは今でも水が湧き出している。この地域の要塞都市では、外敵から守るために貴重な水源となる泉を地下に隠し、トンネルを掘って直接水を汲めるようにした例が少なくない。おそらくギホンの泉も注意深く隠042Civil Engineering Consultant VOL.265 October 2014