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写真1?金色に光り輝く岩のドーム(左)と嘆きの壁(中央から右)写真2 ?イスラムの聖地「岩のドーム」はユダヤの神殿の丘に建つされ、外からは見えないようにされていたのだろう。その水源に至る地下トンネルがツィンノールだと解釈された。つまり、ダビデ王は地下トンネルから攻め上がった、と考えられている。あるいは、山本七平が推測するように「まずは地下トンネルを叩きつぶして水源を絶ってから町を攻めよ」とダビデ王は言ったのかもしれない。■ウォレン・シャフトの発見1867年、イギリスの派遣した調査隊のウォーレン中尉が、ダビデの町の丘から、その下方にあるギホンの泉に向かう地中のシャフト(竪坑)を発見した。発見者の名前を取って「ウォレン・シャフト」と呼ばれる。ウォレン・シャフトはエルサレムでももっとも古い遺構の一つとされ、現地の説明板によれば「紀元前18世紀に既にここに住むカナン人がギホンの泉からトンネルで水を引き、要塞でこれを覆っていた」という。すなわち、ダビデ王がエルサレムを攻めた時には、すでに地下に隠された湧水に至るトンネルが貫通していたことになる。ただし、ウォレン・シャフトやツィンノールをめぐる議論には、なお異説もある。面に、直径・深さともに11mほどの円筒状の穴をくりぬいて造られている。穴の周りに幅1.5mほどのらせん状階段が地面から穴の底まで繋がり、さらにそこから地下にトンネルが伸び、14mのところで地下水面がある水室に繋がっている。紀元前10世紀頃に建造されたものである。■ソロモン王のエルサレム神殿ダビデ王の死後、息子のソロモンが即位し、軍事と貿易により富を蓄積した。ソロモン王はダビデの町を北側の丘にまで拡張し、ここに神殿と王宮を建造した。北側の丘を神殿拡張の場所として選んだのは、ここに祭壇にふさわしい巨大で平らな岩があったからだ。神殿の建設には、ダビデ王の要塞を手がけたフェニキア人の建築家があたり、7年を要したという。また、王の居城や王家の建物を含む王宮の建設にはさらに14年を要したという。これが後の時代に「岩のモスク」が建造される神殿の丘となる。■地下に隠された水源「水源を地下に隠して守る」という発想はエルサレムにとどまらない。たとえばエルサレムの北9kmほど、パレスチナ自治区にある「ギベオンの水槽」もその一つである。『旧約聖書』にも「ギベオンの大池」として登場し、ダビデ王が敵軍と対峙した場所である。ギベオンの水槽は、粘土質の地写真3上から見たウォレン・シャフト写真4 ?地下に掘られた円筒状のギベオンの水槽Civil Engineering Consultant VOL.265 October 2014043