ブックタイトルConsultant265

ページ
46/62

このページは Consultant265 の電子ブックに掲載されている46ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

Consultant265

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

Consultant265

■ヒゼキア王の首都防衛ソロモン王の死後、王国は南北に分裂し、エルサレムは南のユダ王国の首都となった。しかし、アッシリアが北の王国の領土を奪い、南のユダ王国にも攻勢をかけた。ユダ王国ではヒゼキア王が即位し、アッシリアの脅威に対抗するためにエルサレムの防御を固めた。ヒゼキア王の功績の一つは、エルサレムの水源であったギホンの泉の水を、城内のシロアムの池まで引くトンネルを完成させたことである。ギホンの泉は、ダビデの町と向かい側のオリーブ山の間を分かつギドロンの谷にあり、その場所はダビデの町の崖下にあたる。当時、ギホンの泉からあふれ出る水は地表のシロアムの水路を流れてシロアムの池に流れ込んでいた。この水源を外敵から守るためにトンネルを掘りぬいたのである。■世界最古の水道トンネルヒゼキア王のトンネルは約2700年前に建造された、現存する世界最古の水道施設の一つである。全長532m、勾配は0.4%、両側から掘りはじめ、北から1/3あたりで接合している。接合部では、両側から声を出しながら方向を調節したのか、坑道が左右にギザギザと屈曲している。このトンネルは現在も健在で、ギホンの泉は下流のシロアムの池に向って流れ続けている。1880年、下の池で遊んでいた子供たちが、池の出口から6mほど入ったトンネルの壁に、見慣れない文字の書かれた碑文を発見した。これが「シロアム碑文」と呼ばれるもので、トンネル堀の人夫たちが貫通の喜びを古代ヘブライ語で刻んだものである。「掘りぬいた!これは掘りぬきの由来である」と始まる碑文は、現在、イスタンブールの博物館に所蔵されている。首都防衛策が功を奏し、ヒゼキア王はアッシリアの包囲戦(紀元前701年)をかろうじて持ちこたえた。エルサレム防衛にあたった者は、「アッシリアの王たちに攻めいらせ、豊富な水を見つけさせてたまるものか」と言ったそうである。アッシリア軍は完成したばかりの水道トンネルを知るよしもなかった。■ダビデの町の地下トンネル現地を歩いてみる。エルサレム旧市ふんもん街地の南東側、糞門から徒歩5分ほどのところにある「ダビデの町センター」ヒゼキアのトンネルとシロアムの水路下の池シロアムの池ダビデの町で申し込むと、3時間ほどの「ダビデの町ツアー」に参加できる。ツアーは、まずCGを駆使した3次元ムービーでダビデの町の歴史を振り返った後、トンネルに入る。途中、真っ暗な坑内の足元に、ぽっかりと垂直の穴が見え、これがウォレン・シャフトである。さらにトンネルを下ると、丘陵の斜面から屋外に出る。ここからさらに通路を下りて行くと水源を覆う塔や池の遺跡を見ることができる。■ヒゼキア王の水道トンネルを歩くこのツアーでは、ヒゼキア王の水道トンネルを実際に歩くことができる。トンネルは今でもギホンの泉から湧き出る水が流れており、下の池までを一列縦隊で歩く。水深は深いところで腰のあたりまである。暗い中、懐中電灯を手に水の中をじゃぶじゃぶと歩くこと約15分、少し心細くなる頃に出口の光が見えてくる。写真5ダビデの町からギドロンの谷を見下ろすヒゼキアのトンネルウォレン・シャフトギホンの泉シロアムの水路キドロンの谷0 50m図1ダビデの町とヒゼキアの水道トンネル写真6ウォレン・シャフトに繋がるトンネル044Civil Engineering Consultant VOL.265 October 2014