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■エルサレム陥落とイスラム化紀元70年、ローマはユダヤの神殿に火を放ち、エルサレムは陥落する。ユダヤ教徒は故郷を離れることを強いられ、長いディアスポラ(離散)の時代が始まった。さらに638年、エルサレムはアラブ軍により征服され、その後1300年にも及ぶイスラム教徒の支配が始まる。イスラム教にとってエルサレムは、預言者ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所で、その場所はユダヤの神殿があった丘である。ここにはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれ、今でもイスラムの重要な聖地の一つである。写真7ウォレン・シャフトを覗き込むツアー参加者ヒゼキア王の時代は既に鉄器があったので、鉄の鑿や槌で掘り進んだのだろう。トンネルの側面には鑿跡が無数についている。もちろん手掘りであり、苦労が伺える。長方形に掘り込まれた半地下の空間に水は流れ出る。この池は長らくシロアムの池と考えられていたが、最近ここから100mほど下流に遺構が見つかり、それがシロアムの池とされたため、トンネル出口の池は単に「下の池」と呼ばれる。■イスラエル建国とパレスチナ問題第二次世界大戦後、1948年に第一次中東戦争が勃発する。その後、ヨルダン川西岸地区とガザ地区を中心にパレスチナ自治区が設けられ、さらに独立国家の道を模索し、現在にいたる。パレスチナ自治区では地下滞水層からの水利用を厳しく制限されるなど、水をめぐる確執が今も収まらない。乾燥地における水は、土地そのものよりも重要であるといわれる。そのことは、長きに渡るエルサレムの水の確保の歴史が証明している。■その後のエルサレムアッシリアの攻撃にはかろうじて耐えたエルサレムであったが、紀元前598年には新バビロニア王国により破壊された。この後、紀元前37年にローマ帝国に忠誠を誓うヘロデがユダヤの王となった。ヘロデ王はソロモン王が築いたエルサレム神殿を紀元前20年にふたたび大規模に拡張・整備した。ちなみに現在、ユダヤ教徒の来訪が絶えない「嘆きの壁」は、このヘロデ王が築造した神殿を取り巻く外壁とされる。ヘロデ王の統治下、イエス・キリストが布教を始めるが、ユダヤ教からは異端者として迫害され、エルサレムで捕らえられた。キリストが絶命したゴルゴダの丘には聖墳墓教会が建てられ、今でも礼拝が絶えない。写真8水道トンネルの出口「下の池」<参考文献>1)『聖都エルサレム-5000年の歴史』関谷定夫東洋書林2003年2)『イェルサレム(世界の都市の物語14)』高橋正男文芸春秋1996年3)『聖書の旅』山本七平文春文庫1991年4)『図説イェルサレムの歴史』ダン=バハト(高橋正男訳)東京書籍1983年<図・写真提供>図1『聖都エルサレム-5000年の歴史』の資料を基に作製(株式会社大應作製)写真筆者写真9ダビデ王時代の遺跡Civil Engineering Consultant VOL.265 October 2014045