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The“Welland Canal”forms an important part of the St. Lawrence Seawayセントローレンス海路を支える「ウェランド運河」カナダ、オンタリオ州特集土木遺産XII北米発展の礎となった土木技術Special Features / Civil Engineering Heritage XII跳ね橋を通過する船舶株式会社ニュージェック/国内事業本部/地圏グループ茂木道夫(会誌編集専門委員)MOTEGI Michio■セントローレンス海路北米大陸東部のカナダとアメリカ国境付近には五大湖とセントローレンス川があり、これに沿ってセントローレンス海路と呼ばれる舟運ルートが大西洋と内陸部をつないでいる。カナダとアメリカの合同プロジェクトとして1959年に完成し、2万t級の大型船の航行が可能になっている。北米大陸で最も重要なこの舟運ルートは、上りは鉄鉱石を、下りは小麦粉を主とした穀物の運搬を担っている。五大湖の下流側の二つの湖、エリー湖とオンタリオ湖に挟まれたカナダ・オンタリオ州の地には、エリー湖岸の街ポートコルボーンとオンタリオ湖岸の街ポートウェラーを結ぶ運河が通っている。この運河は当初、ルートの一部にウェランド川を利用していたことから、ウェランド運河と呼ばれている。この運河の全長は43.4kmで、セントローレンス海路の西の部分を構成している。二つの街の標高差は99.5mにもなるが、8個の閘門(Lock)を設けて舟運を可能にしている。なぜここに運河が造られたのだろうか。■ウェランド運河の歴史五大湖からセントローレンス川・大西洋への舟運ルートのうち、このエリー湖とオンタリオ湖を結ぶ運河は、五大湖周辺の人々にとっての悲願であった。現在のカナダの南オンタリオ地域にあたるこの地方は、1791~1842年までイギリスの植民地であり、アッパー・カナダと呼ばれていた。アッパーとはセントローレンス川の上流という意味である。下流地域もローワー・カナダと呼ばれイギリスの植民地であった。最初の運河は、アッパー・カナダの実業家ウィリアム・ハミルトン・メリット(William Hamilton Merritt)が設立した運河会社により、1824~1829年にかけて、まずオンタリオ湖のポートダルージーからウェランド川のポートロビンソンまでの間が建設された。メリットはセントキ014Civil Engineering Consultant VOL.266 January 2015