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ポートコルボーンエリー湖8旧運河初代2代目3代目4代目(現在)○:8箇所の閘門ウェランド川ウェランドNポートロビンソン至チパワナイアガラ川ソロルドトゥウェルブマイル・クリーク川ポートダルージーオンタリオ湖セントキャサリンズ12ポートウェラー7 654 3図1運河ルートの変遷図2ウェランド運河縦断図写真1ナイアガラ断崖を越える4代目運河ルート模型(セントキャサリンズ博物館)ャサリンズの街で経営していた工場に水を引くために、街の近くを流れるトゥウェルブマイル・クリーク川とその上流地域を流れるウェランド川を結ぶルートを選定した。そして暫定的に、ポートロビンソンから上流はウェランド川からチパワに抜け、ナイアガラ川を経てエリー湖に向うルートとして開通した。そのわずか4年後の1833年には、ルート短縮を目的としてポートロビンソンからエリー湖のポートコルボーンまでの延伸区間がついに完成した。この運河は全長44km、40箇所の木造閘門で構成されていた。帆船は馬で曳いて通過させていた。しかし、木造で貧弱な構造は維持管理費が嵩み、通行料収入だけでは運河を運営するには不十分であった。結局、運河会社は1837年の金融恐慌に巻き込まれて経営が悪化し、1841年にアッパー・カナダとローワー・カナダの統一植民地政府に買収された。その後、閘門に使われた木材の劣化と通過する船舶の大型化に応えるため、ほぼ同じルートで2代目のウェランド運河が完成した。閘室を木造から石積みにして規模を拡大し、閘門を27箇所に減らした。続く3代目のウェランド運河は、帆船から蒸気船への移行と増大する需要に応えるため、ソロルドからポートダルージーまでの下流ルートをバイパスして1887年に完成した。閘門がさらに一つ減り、閘室は拡張され、幅が13.7m、長さが82.2mとなった。そして、現在の運河は4代目となる。当時、舟運の効率化から船舶の大型化が望まれており、1907~1912年にかけて再度運河の大型化の計画が立てられた。閘室の長さを260mに拡大し、閘門数も8箇所へと大幅に減らして1913年着工した。途中、第一次世界大戦により中断されたものの、1919年に工事を再開して1932年に完成した。さらに1967~1973年には、船舶の速度を上げるためと、運河を渡る自動車交通阻害を軽減するために、ウェランドの街の東側を通るバイパスが建設された。西側に位置する旧運河は、ウェランド・リクリエーショナル運河と呼ばれ、今では舟運には使われていない。今日、運河の運営管理は、セントローレンス海路マネジメント公社が行っている。■高低差の克服と運河の誕生エリー湖とオンタリオ湖には、カナダとアメリカの国境線が通っている。北岸はカナダ・オンタリオ州、南岸はア写真2 初代の運河イメージ絵(セントキャサリンズ博物館)写真3 2代目の運河跡Civil Engineering Consultant VOL.266 January 2015015