ブックタイトルConsultant266号

ページ
23/74

このページは Consultant266号 の電子ブックに掲載されている23ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

Consultant266号

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

Consultant266号

工事は主塔の基礎工事から着工された。基礎工事は川底を深く掘り進めるニューマチック・ケーソン工法が採用された。海中深く気圧が高くなる工事のため、作業員の中に潜水病を発症するものが出て問題となっていた。こうした矢先の1872年、現場指揮に入っていたワシントンも潜水病を患い下半身付随となってしまった。声を出すこともままならず、難聴に悩まされたワシントンは、ブルックリン側の小高い丘にあるブルックリンハイツの部屋から出られない状況となり、妻のエミリーに支えられることとなった。エミリーは、初めワシントンの指示を現場に伝えるだけであったが、独学で複雑な架橋技術を学び、ワシントンの意思を的確に理解し、土木技術者として現場で指揮を執るまでになった。その後約10年に渡ってこれを遂行し、作業員の事故や事業資金の枯渇、工事の一時中断など、多くの困難を乗り越えて橋を完成に導いた。1883年5月24日に挙行された開通式典には、チェスター・A・アーサー大統領をはじめ、国会議員、市長、商店や会社を休業した多くの市民が参加し、盛大なパレードが催された。式典スピーチで、世紀の大事業となったブルックリン橋は偉大な記念碑として称えられ、ジョン、ワシントン、エミリーの献身的な偉業が賞賛された。しかし、その場にワシントンとエミリー夫妻の姿はなかった。ブルックリンハイツの部屋から二人でその光景を眺めていたのである。予定になかったが、大統領をはじめとした一行が式典終了後にブルックリンの小高い丘を訪れ、ローブリング親子への感謝の意を告げたと伝えられている。図2 橋の断面イメージ図(現地案内板を参考に作成)上1883年完成時中1898年頃下1950年以降ダンボ地区や川沿いに整備されたブルックリンブリッジパークなどがあり、今日でもマンハッタン側から市民や観光客が、橋のボードウォークを散策しながら渡ってくる姿を望むことができる。<参考資料>1)『ブルックリン橋』Alan Trachtenberg、大井浩二訳、1965年研究社出版2)『NEW YORKブルックリンの橋』川田忠樹、1994年科学書刊3)『ブリュッケン』Fritz Leonhardt、田村幸久監訳、1998年メイセイ出版4)『都市交通の世界史』小池滋、和久田康雄、2012年悠書館5)『水曜会誌』第23巻第1号「鉄鋼業における最近の技術開発について」栁島章也、1999年京都大学水曜会6)「American Society of Civil Engineers(ASCE)HP」(http://www.asce.org/)7)「LIBRARY OF CONGRESS HP」(http://www.loc.gov/)■ブルックリンハイツからの眺望ブルックリン橋に用いられた架橋技術は、その後のアメリカにおける長大吊橋の全盛期へと受け継がれた。現在、ブルックリンハイツからマンハッタンを望むと、世界を代表する摩天楼の風景が一望できるとともに、9.11という記憶に深く刻まれた大惨事も思い起こされる。しかしながら、その眼前に100年以上前の姿のまま佇んでいる橋の存在は、ジョンが想い描いた「国家的モニュメント」と成りえたことに改めて実感させられる。またブルックリンには、最近注目が集まる写真7 補修中のブルックリン側のアプローチ部<取材協力・資料提供>1)Matthew Postal, Architectural Historian2)柏木裕子(通訳)<図・写真提供>図1、2、写真8川崎謙次P18上佐々木勝写真1『NEW YORKブルックリン橋』より写真2茂木道夫写真3『LIBRARY OF CONGRESS』より写真4近藤安統写真5塚本敏行写真6、7大角直写真8ブルックリンハイツからマンハッタンを望むCivil Engineering Consultant VOL.266 January 2015021