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壊れた管が見えてくる。これは樽と同じ構造をした20~30枚のレッドウッド板をタガで円筒形に組んだパイプで、水道管として使われていた。1908年に囚人により組み立てられたもので、張り出した岩盤を掘削して配置した箇所も多くある。また途中、アーカンザス川を下るラフティングに遭遇することもある。さらに渓谷を進むと、遥か上空にロイヤルゴージ・ブリッジが見え、ついに特徴あるA形フレームで吊られた「ハンギング・ブリッジ」を渡る。なぜ、断崖絶壁の渓谷にこのような吊構造の橋を造ることになったのだろうか。■ロイヤルゴージ・ルート鉄道の歴史アメリカでは1869年に最初の大陸横断鉄道が開通している。当時は鉄道の時代で、新規路線を建設することが大きな富を生んでいた。キャノンシティー近郊では、デンバーの西約160kmにあるアーカンザス川源流付近のレッドビルで1879年に銀が発見され、一段と鉄道建設の機運が高まっていた。ロイヤルゴージを通る路線は、1871年にデンバー&リオグランデ鉄道会社(D&RG)が最初に建設を始めたが、同時にアッチソン・トピカ&サンタフェ鉄道会社(AT&SF)にも建設許可が与えられたため、長年にわたって多くの騒動が続いた。実際の建設は、規模の大きいAT&SFがキャノンシティーより西側を先行していたため、D&RGはAT&SFに多額の軌道使用料を払い、1880年にサライダを経由してレッドビルまで鉄路を開通させた。現在のロイヤルゴージ・ルート鉄道の発着駅の看板には「Santa・Fe」と書かれており、かつてこの位置にはAT&SFが使っていた駅舎があった。また、向かい側にはD&RGの駅舎があったとのことで、騒動の名残が駅舎の看板に残さている。その後、D&RGは便利な別ルートが完成したことや鉄道価値の低下により、1967年には旅客輸送を廃止、1996年にはユニオン・パシフィック鉄道会社(UP)と合併し、社名がなくなるとともに貨物輸送も廃止した。1998年になると、ロイヤルゴージ・エクスプレスを構成するキャノンシティー&ロイヤルゴージ鉄道会社とロック・アンド・レール社が、マイルポスト160(キャノン・シティー)から172(パークデール)までの約20kmをUPから購入し、前者が旅客輸送で後者が採石などの貨物輸送を再開した。ロイヤルゴージ区間を含めた貨物運行はUPが、これら3社の運行管理も合わせて行っている。ちなみに、キャノンシティー駅の看板に名前があったAT&SFは、アメリカで主要な鉄道会社の一つであるバーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道会社(BNSF)と合併しており、デンバーからキャノンシティーに来る道すがらに、長大編成の貨物列車を見ることが出来る。ロイヤルゴージ・ルート鉄道を利用した観光列車の運行は、4~10月が中心で1日4往復あり、これ以外の時期は週末やイベントなどに限られ運行回数が少なくなる。客車17両編成の列車は、夏場がGP40、他がロゴマークにもなっているオレンジ色のF7A-Bというトラクションが異なる2種類の機関車が牽引している。ロイヤルゴ写真1客車内図1 1872? 1881年のコロラド州南東部の鉄道路線写真2貨物列車とすれ違うCivil Engineering Consultant VOL.266 January 2015023