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図2ハンギング・ブリッジ構造図図3ハンギング・ブリッジ一般図ージ区間の勾配は平均2~3‰、最大20‰で、日本の鉄道と同程度であり、山岳鉄道としては緩勾配である。■地理的条件デンバーは標高3,000mを超える山々が連なるロッキー山脈の東側約100kmに位置している。ロイヤルゴージ区間はこの山脈を登るために大きく迂回したルートであり、初期には大陸横断鉄道としての役割があった。しかし1923年、デンバーから北西に80kmほどのところに、当時のアメリカ大陸最長となる約10kmのモファットトンネルが完成すると、大陸横断鉄道は距離が短く便利なルートが中心となった。現在、シカゴとサンフランシスコを結ぶアムトラックの長距離列車カリフォルニアゼファーは、このトンネルを通過するルートとなっている。ロッキー山脈最高峰のエルバート山(標高4,401m)の北西約20kmにある鉱山町レッドビルは標高約3,100m、キャノンシティーは標高約1,630m、パークデールは標高約1,750m、そしてロイヤルゴージの崖の上にあるロイヤルゴージ・ブリッジは標高約1,960mである。■特殊な構造のハンギング・ブリッジハンギング・ブリッジは、マイルポスト166.23から始まる橋長53.4mの鋼製桁橋で、1879年5~8月の4カ月で建設され、工事費は当時の金額で約12,000ドルであった。この橋の建設時の課題は、幅約10mの峡谷に高さ約300mもの花崗岩の壁が存在することであった。AT&SFが設計を依頼したのは、アメリカ土木学会(ASCE)会員の土木技師シー・シェラー・スミス(C.写真4ハンギング・ブリッジの支承部と吊り部写真3 狭軌にレールを1本追加して標準軌でも使えるようにしてあるShaler Smith)である。1836年ピッツバーグ生まれのスミスは、幾つかの鉄道会社で研鑽を積み、トラスの研究論文を発表して有名になり、1866年には友人と主に鋼鉄道橋を設計する会社を立ち上げている。アメリカでも著名な土木技術者であり、幾つかの鋼鉄道トラス橋を設計し、1886年に永眠した。実は、小樽港外洋防波堤の築造で知られる近代日本を代表する土木技術者廣井勇は、1883年から3年間のアメリカ自費留学中、晩年のスミスの設計事務所で仕事をしている。日米の著名な土木技術者の接点が、こんなところにあったとは驚きだ。024Civil Engineering Consultant VOL.266 January 2015