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がとれた美しい自然の中で育つことが、数学の世界をとなる前自動車時代です。前自動車時代に環状道路と牽引していくだけの力になっている」と言っています。こいうものに着目して造ってみようと。これが、極めて慧眼れは数学の世界だけの話ではありません。子供の頃に、だったと思います。フランスやパリの経済成長に大きく寄美しい自然環境や緑豊かで美味しい空気の中で育つと与したのは間違いありません。いうことが如何に大事なことか、ということを我々はもパリにしてもウィーンにしても、ヨーロッパの都市はどっと気付くべきだと思います。地方創生でも、地方の自こでもそうですが、まず環状道路があったのです。城壁然をどうやって活かしていくのかという視点を、ぜひ取りというものの跡に環状道路が出来上がっていました。入れて欲しいと思います。それから自動車時代を本格的に迎えたのです。つまり、もたにこうすけ前川:地方創生はこれからですね。藻谷浩介氏の『里山資本主義』にあるような、部分的に成功している例はいくらでもあると思いますが、それだけで全体的な力になるかというと、なかなか難しい気がします。大石:これからの地方は、そこでアントレプレナーとして起業することが重要です。一つ一つの雇用規模は小さいかもしれませんが、そうしたものが沢山できることで、経営する誇りとそこに住み続ける誇りを同時に持ちながら、運営していくことがとても大事です。海士町や里山資本主義は大きなヒントを与えてくれています。環状道路共有時代の到来前川:今、首都圏の3つの環状道路(圏央道・外環・中央環状)の整備がかなり進んで来ています。中央環状に至っては2014年度中に完結します。国土強靭化や首都直下型地震を考えても、環状道路が繋がることは、首都圏に対する影響は、経済効率を含めて大変大きいと思います。画期的な状況がここ1~2年で生まれて来ます。そこで、環状道路の意義を改めて教えて下さい。大石:パリの最初のペリフェリック(フランスの都市を環状に取り囲む都市高速道路)、いわゆる環状道路は、ティエールの城壁跡に造られました。第1次世界大戦以降、空から爆弾が降る時代になり、都市城壁を持つ意味が無くなりました。そして、1919年の終戦直後から城壁を取り壊し始めました。390mの幅で34km取り巻いていた大空間です。フランスは「この貴重な都市空間をどうしようか」と考えた末に、まずは低所得者向けの住宅を、その後余った土地に片側4車線の環状道路を造りました。環状道路を造り始めた1920年代は、T型フォードの生産が既に始まっていましたが、フォルクスワーゲンが現れるのは20年ほど後図1各国の環状道路の整備状況。左から東京、パリ、ロンドン環状道路があることで交通分散が図られるメリットを、環状道路時代が到来する前から受けていたことになります。いわばアプリオリ(先立つものとしての意)に環状道路があったわけです。ところが日本は城壁を持っていなかったので、環状道路の意義と役割はヨーロッパの例を見てから知りました。そして、日本も造らないといけないとの危惧から始まったのですが、初めはこれがなかなか地元には理解されませんでした。川越と八王子の間で圏央道に着手し始めた昔、川越の人に八王子に繋がる環状道路の説明をしても、「ワシらなんで八王子にいかにゃならんのか?ワシは都心に行きたいんだ!都心に行く道路の協力ならなんぼでもするけど、八王子に行く道路の協力なんかできるか!」と言われて、用地交渉が進まなかったことがありました。圏央道は交通分散が主目的にあるので、川越の人から見たらその意義がものすごくわかり難いものだったわけです。その後外環が動き、圏央道が整備されて行くにつれ、その意義が理解され始め、それまで幹線道路がなかった地域で、まったく新しい土地利用が始まりました。それほど環状道路の意義は大きく「環状道路共有時代が来た」と言っても過言ではないと思います。多様な道路空間の捉え方大石:道路には、空間分割と時間分割という考え方も入れるべきだと思っています。どこの道路も、車道にちょっとした緑地帯があって歩道がある、という空間ばかりで004Civil Engineering Consultant VOL.266 January 2015