ブックタイトルConsultant267号
- ページ
- 36/88
このページは Consultant267号 の電子ブックに掲載されている36ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは Consultant267号 の電子ブックに掲載されている36ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
Consultant267号
にかほ市平泉町おくのほそ道第10回酒田市大石田町宮城県株式会社オリエンタルコンサルタンツ/関東支店都市デザイン部山形県仙台市松島町金野拓朗KONNO Takuro(会誌編集専門委員)岩沼市変わる町並み、変わらない風景「酒田」福島市新潟県福島県須賀川市白河市『暑き日を海にいれたり最上川』栃木県茨城県下関山口県島根県広島県尾道鳥取県岡山県香川県京都府兵庫県明石大阪府奈良県福岡県愛媛県高知県徳島県和歌山県大分県熊本県宮崎県島県1現在の最上川と落日の風景松尾芭蕉は1689(元禄2)年6月13日(現在の7月29日)の夕刻に山形県酒田市に到着した。最上川の河口に位置する酒田は、1672(寛文12)年に河村瑞賢が開拓した西廻り航路と最上川、さらに浜街道と海・川・陸の交通の要所に位置していたことから、米を中心とした物流の一大拠点となっていた。その隆盛は「西の堺、東の酒田」と言われたほどで、芭蕉が到着した当時は活気ある町並みであった。よほど居心地が良かったのか、旅の疲れもあったのか、芭蕉は酒田で9日間滞留している。最上川の河口にある酒田港周辺では、今も当時の歴史を伺い知ることができる。地域のシンボルとなっている山居倉庫は、かつての米蔵の名残であるが、このような問屋の蔵々が港沿いに建ち並んでいた。かつて船頭が日和を見ていた日和山公園には、江戸への御城米置場であった河村瑞賢庫跡や六角灯台といった酒田港の賑わいを支えた遺跡や遺物を見ることができる。近くには芭蕉が通過したとされる芭蕉坂が残る。しとまえりっしゃくじ奥州平泉から尿前の関を越え、立石寺、出羽三山を経て、久しぶりに海と出会った芭蕉は、日本海へ落日する情景を見て、表題の句を詠んだ。河口には広大な風景が現在も残る一方で、酒田の市街地は幾度かの火災に見舞われた。明治以前の酒田の町並みは、広島や倉敷のような土蔵造りの「蔵の町」であった。しかし1,700棟余りを焼失させた1894(明治034Civil Engineering Consultant VOL.267 April 2015