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ど比較的低温で溶ける金属もあるが、鉄の融点はいなお1539℃にも及ぶ。だから鉄を溶かして鋳直す鋳造工程では1500℃台なかばの高温に耐える素材が必要。鉄を溶かすのだから、その容器は鉄では駄目。木材などの可燃物では全く不向き。金物も頼りない。残るは土か石であろう。結論として煉瓦が採用される。なおも問題があった。反射炉を構成する煉瓦は、通常の建築用煉瓦ではない。普通煉瓦は別名「赤煉瓦」とも呼ばれ、身近な粘土と山砂で製造される。赤煉瓦は赤色に限らぬ。黄色でも青でも黒っぽい品も、広い色調の煉瓦を意味する。煉瓦は原土の種類と焼き方で色合いが変わる。そして土には固有の耐火度があるが、普通の土では1,500℃もの高温には耐えられない。無理をして加熱すると、不燃材料なので発火はしないが破裂する。砂糖菓子のカルメラ焼に似ていて、素材の中から煮えてくるように爆発状態を呈する。反射炉には、赤煉瓦以上の高温でも大丈夫な材料が不可欠となる。反射炉や高炉の内貼りに使われる煉瓦は、耐火煉瓦である。この煉瓦は白い。このため白煉瓦けいそうどと呼ばれる。白煉瓦の原土は、珪藻土。珪藻とは水中もけいそに棲む藻の総称で、細胞内に珪素を含むので、その名がある。珪藻土は古代の珪藻が積み重なった白っぽい土で、炭火をたく七輪の素材だ。七輪の黄白色をした土は、赤土よりも耐火度が高い。江戸時代末の蘭学者たちは、開国以前にオランダ語の書物にある記述を手掛かりに反射炉を築き、大砲鋳造に乗り出した。日本は赤煉瓦よりも先に製造困難な白煉瓦の国産化に成功する。世界史上でも珍しい。しかも鎖国政策だから、外国人教師を招くわけにいかない。?と呼ばれていた煉瓦は幕末明治の頃には、まるでれんがせき違う建築材料のように煉化石といわれるようになる。写真3古代エジプトの日干し煉瓦(舞鶴市立赤れんが博物館蔵)ある。その透き間を泥でふさぐ。やがて石の上に別の石を積む際、泥を接着剤にするようになる。次は石でなく乾いた土の塊を、湿った泥でつなぎ合わせて積むことに気付く。オール泥土の建築物だ。そうだ、土の塊を前もって沢山つくっておこう。どうせ造るのならば形も大きさも揃っていた方が、製造工程も、積むのも楽だ。積まれた壁も見栄えが良い。同一の木枠に泥を入れて抜き出ひぼした生地を、天日にさらして自然乾燥した日干し煉瓦は現在でも使われる。雨が少ないので焼かなくても問題ない。焼きたくても燃料にする草や木が生えていない。日本の煉瓦製造の始まり時代はずっと下り、煉瓦は明治維新の鮮烈な印象とこうししてなだれ込んでくる。日本での煉瓦製造の嚆矢は、幕末の洋式工場から。今の三菱重工業株式会社長崎ようてつじょ造船所の場所に、江戸幕府が長崎鎔鉄所を着工した時だ。この関連施設も平成27年、世界遺産に登録された。安政4(1857)年に工事が始まり、文久元(1861)年の完成時に長崎製鉄所と改称。製鉄所とは言うが本格日干し煉瓦建築物の三大材料は、木と土と石。木は伐り倒して枝を落とした皮つきの丸太。ロッグ・ハウスのロッグ材だ。地面に穴を掘って柱をたて、柱と柱の頭に別の材を架け渡せば木造建築の骨格が完成する。だが木材は降水量の豊富な土地だけ。地球には乾燥地帯に住む人々も多い。その地で森林資源の入手は困難。手に入る品は砂と石くらい。しかし日中の太陽は厳しい。人々は鋭い日差しから身を守るため日陰をつくる。石を集めてきて積み上げるのだ。最初は屋根もなかった。幸い雨は降らない。敷地を囲む塀に似ている。からづ元来は石だけの空積み。目地材なしだから透き間が写真4長崎製鉄所の系譜をひく小菅そろばんドックCivil Engineering Consultant VOL.269 October 2015013