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特集3赤煉瓦煉瓦を活かしたまちづくり?京都府舞鶴市?石原雅章ISHIHARA Masaaki舞鶴市/産業振興部/観光まちづくり室/文化振興課長特定非営利活動法人/赤煉瓦倶楽部舞鶴/理事京都府舞鶴市では、過去に建造されて残されていた赤煉瓦建造物をまちの資源として捉え、まちづくりに活用する取り組みが30年も前から行われている。どのようなきっかけで取り組みが始まり、現在に至るまで盛り上がっているのだろうか。舞鶴市は京都府北部に位置し、若狭湾に面した港まちです。東・西に市街地があり、西地区は16世紀末、歌人としても名高い戦国の武将細川幽斎とその子忠興が田辺城を築き、城下町として発展してきました。一方、東地区は1901年、対ロシア戦略の日本海側の軍事拠点として、舞鶴鎮守府が開庁しています。一寒村に、港、鉄道、道路、水道などインフラ整備が急きょ進められ、海軍のまちとして歩んできた歴史を有しています。1945年の第二次世界大戦終了後、引揚港に指定され、1958年までの13年間にわたり66万人余りの引揚者と1万6千柱の遺骨を迎え入れており、『岸壁の母』の歌とともに引き揚げのまちとして知られています。に、倉庫、工場、水道施設、砲台、鉄道施設など約60の赤煉瓦建造物を確認しました。その後、市内に残る赤煉瓦建造物を広く紹介し、まちづくりのきっかけをつくりたいと、1990年11月に「第1回赤煉瓦シンポジウム」を開催したところ、全国19都市から参加いただき、赤煉瓦について熱心な討議がされました。そこで専門家も含め多くの方々から、舞鶴が赤煉瓦建造物の宝庫であることがはじめて明らかにされたのです。このシンポジウムを機に、市民の活動組織となる「赤煉瓦倶楽部舞鶴」が発足しました。また、全国の赤煉瓦をつなぐ「赤煉瓦ネットワーク」も設立され、横浜に事務局が置かれ運営されています。赤煉瓦のまち「舞鶴」赤煉瓦を活かしたまちづくりは、1988年舞鶴市職員による自主研究グループの活動から始まります。日本海側の暗いイメージを払拭し、プラスイメージに変えようと活動する中、横浜市職員による研究会を訪問した際、横浜新港埠頭の赤煉瓦倉庫2棟を赤レンガパークとして活用しようとしていることを知ります。この時、自分たちのまちにも、数多くの赤煉瓦倉庫があることに気づき、活動がスタートしました。1989年11月末から市所有の赤煉瓦倉庫をライトアップしたほか、赤煉瓦の調査を本格化させるため「まいづる建築探偵団」を発足。探偵団は全国で4基しか現存していない「ホフマン窯」という煉瓦を焼成する窯を発見するなど、毎週土・日曜日を利用し、市内を探索し、旧海軍が明治から大正期にかけて建設した施設を中心市民活動の盛り上がり1991年8月3日、三方を赤煉瓦倉庫に囲まれた会場で、野外コンサート「赤煉瓦サマー・ジャズ・イン舞鶴」写真1第1回赤煉瓦シンポジウム(1990年)022Civil Engineering Consultant VOL.269 October 2015