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写真2赤煉瓦サマー・ジャズ・イン舞鶴(1991? 2010年)を開催しました。これは探偵団の顧問と団長がジャズ好きだったこともあり、ジャズピアニストの山下洋輔さんに依頼したところ、「祖父が明治の有名な建築家であり、面白い」と快諾いただき開催できることになったものです。以後、ジョージ川口、日野皓正、阿川泰子など一流ミュージシャンを招き、舞鶴の夏の風物詩となりました。また、赤煉瓦倉庫を所有する海上自衛隊や民間倉庫会社へ要請したライトアップが実現したほか、赤煉瓦にちなんだお土産を各店にお願いし、煉瓦やホフマンをネーミングしたお菓子やお酒、かまぼこなど沢山の赤煉瓦商品が誕生しました。さらに、赤煉瓦倶楽部の活動として、冬の赤煉瓦倉庫を光で演出する「赤れんがライトアート」を開催するとともに、まちづくりへの市民の参加意識の高揚を図るため、赤煉瓦を使用し景観に寄与している建物を表彰する「舞鶴赤れんが賞」を創設したりしています。これらの赤煉瓦倶楽部の活動などを通じて、赤煉瓦に対する関心も高まり、赤煉瓦倉庫近くにある海上自衛隊桟橋の塀や国道の横断地下道の公共施設、民間施設が赤煉瓦調に改修されるなど、赤煉瓦が各施設に意識的に取り入れられるようになりました。2000年3月、神崎ホフマン窯を所有する企業が倒産し、競売の危機に直面することとなりました。赤煉瓦倶楽部では、この窯が赤煉瓦を活かしたまちづくりのシンボルであるとして保存運動を展開してきました。債権を持つ金融機関へ保存の要望書を提出したほか、全国から保存メッセージの募集や赤煉瓦保存基金の創設などを行い、競売後には地元神崎地区の方々の保存署名簿と全国から寄せられたメッセージを添え、新所有者に写真3赤れんがロード再生事業(2003年)要望書を提出しました。2011年10月、ホフマン窯の管理団体となった公益財団法人舞鶴文化教育財団は、国や京都府の指導のもと、ホフマン窯の保存工事に着手し、2013年5月に窯の覆屋根や見学路等を整備しました。2003年には中高校生などが参加して、明治時代に建設され、後に土に埋もれていた赤煉瓦舗装道路「赤れんがロード」を再生する市民活動も実施されました。これら市民の地道で継続した活動が、今日の「赤煉瓦を活かしたまちづくり」の原動力になったとものと考えています。赤煉瓦建造物の保存と活用舞鶴市では、こうした市民の動きに呼応して、取壊しが予定されていた国所有の赤煉瓦倉庫を転活用し、「赤煉瓦のまち舞鶴」を広く発信できる施設として、1993年11月に、世界でも類のない「煉瓦」をテーマとした「赤れんが博物館」をオープンしました。館内では、エジプトの日干し煉瓦や万里の長城の煉瓦など世界四大文明の煉瓦を中心に、国内外の煉瓦や煉瓦建物とその背景にある歴史等を紹介しており、現在、世界42カ国の煉瓦約1,900個を収蔵しています。翌年には市民交流の場として多目的ホールや展示コCivil Engineering Consultant VOL.269 October 2015023