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平泉町酒田市大石田町宮城県山形県仙台市松島町おくのほそ道第12回歴史が息づく町「高岡」下関山口県島根県広島県尾道鳥取県岡山県香川県兵庫県新潟県高岡市栃木県富山県群馬県石川県『早稲の香や分け入る右は有磯海』茨城県長野県明石いであ株式会社/建設統括本部水圏事業部/河川部松田明浩MATSUDA Akihiro(会誌編集専門委員)京都府大阪府奈良県福井県岐阜県出雲崎町岩沼市福島市福島県須賀川市白河市福岡県愛媛県高知県徳島県和歌山県大分県熊本県宮崎県児島県1有磯の海(写真提供:公益社団法人富山県観光連盟)有磯海とは、富山県高岡市北部の二上山が富山湾へあまはらし没する現在の雨晴海岸付近の岩石(磯浜)海岸を、奈良時代の歌人・大伴家持が「越の海の荒磯の波」と万葉集で詠んだものが、時代が下って「有磯」に変わり、やがて万葉の響きを思い起こさせる歌枕「有磯海」となったとされている。現在でも気象条件が整うと、眼前に荒々しい雨晴海岸から富山湾越しに白銀の剣・立山連峰が広がる絶景の景勝地である。1689(元禄2)年の旧暦7月14日(陽暦8月28日)、越後から親不知の難所を抜けて市振に泊まった芭蕉一行は同行した曾良の日記などから、「くろべ四十八が瀬」と詠んだ黒部川や多くの川を渡り、那古の浦(富山県射水市~高岡市伏木付近)に入ったとある。岸沿いを氷見まで足を伸ばし、かの名高い歌枕の地である有磯海を見たいとしていたところ、現地では一夜の宿を借りることも無理と言われ、高岡から倶利伽羅峠を越えて金沢へと進んだとのことである。冒頭の早稲の香やの句は、有磯海に後ろ髪をひかれながら、先を急いだ心情を詠んだ句とされている。現在、富山県第二の都市である高岡市は、古くから地域の中心として発展してきた町である。奈良時代、高岡市北部に位置する伏木地区は越中国の国府があり、国庁や国分寺などが置かれ、政治や文化の中心として機能していた。大伴家持はここに国主として赴任し、風光明媚なこの地の景色を和歌に詠み、その多くが万葉集に収められ、現在に伝わっている。近世には、二代加賀藩主前田利長が1609(慶長14)年に高岡城を築き、高岡は城下町としてその歩みを始め034Civil Engineering Consultant VOL.269 October 2015