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2(上)現在の高岡市伏木気象資料館として使われている旧伏木測候所3(左)明治16年頃の伏木測候所(高岡市蔵)4(右)明治?大正末期の高岡市山町筋(高岡市立博物館蔵)5(下)現在の高岡市山町筋るが、そのわずか5年後に利長が急死し、さらにその翌年の「一国一城令」によって高岡城は廃城となった。しかし、利長を継いだ三代前田利常は、次々と殖産興業の政策を打ち出し、高岡を城下町から商工業の町へと変換させた。小矢部川や庄川の水運を利用して多くの米や材木が集まり、高岡銅器や高岡漆器もこの頃から始まり、高岡は加賀藩の一大経済都市として発展していくことになる。明治になると高岡はさらに大きな商工業都市へと変貌していく。江戸時代より高岡中心部の旧北陸道に面すやまちょうる山町筋と呼ばれる地区には大商人が軒を並べていたが、明治の大火を契機に土蔵造りの町並みに作り替えられ、明治の香りを残す町並みが今に伝わっている。一方、江戸時代より伏木地区は北前船の重要な寄港地となり、やがて廻船問屋から財をなした有力な豪商が新時代の到来にその先頭となって活躍する。そんなようぞう豪商の一人であった藤井能三は、教育や港湾整備等の重要性を痛感し、私費で学校や灯台、測候所の整備等を行い、伏木港の近代化に尽力した。1899(明治22)年に市制が施行された際には、日本初の市の一つとして「高岡市」が誕生している。こうした歴史的背景をもとに、現在の高岡市では歴史的・文化的資産を積極的に保存活用した街づくりが進められている。高岡地区では、前田公ゆかりの瑞龍寺や、高岡古城公園をはじめ、土蔵造りの町並みや高岡銅器を生んだ鋳物の町を今に伝える千本格子の町並みなどが残されている。一方、伏木地区にはかつての越中国府跡ともいわれる勝興寺とともに、江戸時代末の廻船問屋の建物を利用した伏木北前船資料館、明治期の建物がそのまま利用されている伏木気象資料館、高岡万葉歴史資料館等が整備され、随所でその悠久の歴史を感じることができる街となっている。<参考文献>1)『博物館ノート高岡のあゆみ』高岡市立博物館2014.2.28<取材協力>1)高岡市立博物館Civil Engineering Consultant VOL.269 October 2015035