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三島口を抜け函南駅に進入する普通列車第68回幾多の困難を乗り越えて貫通した「丹那トンネル」静岡県熱海市/函南町日本交通技術株式会社/設計一部/軌道課-水野寿行/MIZUNO Toshiyuki(会誌編集専門委員)■熱海から西へ東京から東海道本線を普通列車で進んでいくと、約2時間で熱海駅に到着する。熱海駅は伊豆方面へ向かう伊東線が分岐する駅であり、周囲には土産物店や温泉旅館が集まり、いかにも観光地といった風情である。熱海からさらに西へ進むとやがて列車は長いトンネルに進入する。このトンネルが「丹那トンネル」である。とはいえ車窓からトンネル内を眺めても特段の特徴はなく、車内の人々がこのトンネルに関心を寄せる気配もない。暗いトンネルの中を列車は淡々と進んでいく。通過に要する時間はわずか数分であるものの、このトンネルの建設工事は難航し、16年もの歳月を要した。なぜ、丹那トンネルは計画されたのだろうか。■東海道本線の開通我が国の鉄道のはじまりは明治初期にさかのぼる。鉄道の整備はまず都と港を結ぶルートから進められた。1872(明治5)年に新橋~横浜間が開通、一方、西では1874(明治7)年に大阪~神戸間が、その3年後には京都~大阪間が開通し、東京と京都で鉄道の運行が開始された。そして東西の都を結ぶ幹線鉄道は、中山道経由で計画されていたのである。これは東海道経由とすると舟運との価格競争が予想されること、中山道経由の鉄道の開通が山間部の発展に寄与する効果が大きいとされたこと、また海上からの攻撃を受けやすい東海道は避けるべきとの軍部の意向があったことに起因する。しかし困難な地形が続くことで、多額の工事費が見込まれたことから、1886(明治19)年に東海道を経由する経路に変更された。これが東海道本線である。1890(明治23)年の第1回帝国議会開催時の議員の往復に使用されることになるため、建設が急かされていた。横浜から戸塚・藤沢・平塚・大磯の宿場町を経由し国府津に至る。そこから沼津方面へは箱根山から三島へ抜ける経路も042Civil Engineering Consultant VOL.271 April 2016