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げられ、道路はアーチ門をつくり、イルミネーションや小旗を張りめぐらして賑やかに飾られた。会場となった館内町の福建会館会議堂に、華僑代表と長崎県知事、長崎市長ら総勢70余名が出席し、大階段で記念写真を撮っている。記録によると、歓迎会に使った費用は料理、楽隊、人力車など556円(現在の価格で約70万円)。参加費は一人3円(現在の価格で約3,800円)とリーズナブルで、不足分は福建会館、三江会所と広東会所が拠出している。実はこの午餐会の料理を四海樓が担当している。そして、孫文は帰国に際して、長崎華僑の熱烈な歓喜に応えるために、わざわざ新地・広馬場を20数台の車で迂回し、四海樓の前を通って長崎港へ向かっている。伝統文化から新しい文化へ毎年百万人近くが訪れる冬のイベント「長崎ランタンフェスティバル」は、1984(昭和59)年に長崎新地中華ぱいろうもん街の東西南北の入口に牌楼門(中華門)が完成したことをきっかけに、翌年から街の振興のために長崎新地中華街の人たちが、中国の旧正月を祝う「春節祭」を開催したことが始まりとなった。その後1992(平成4)年に会場を湊公園に移し、少しずつ規模を拡大してきた。翌年には長崎市から「春節祭を一緒にイベントとして拡大していかないか」との提案が持ち掛けられたことで「長崎ランタンフェスティバル」と改称し、長崎の冬を彩る一大風物詩として現在に至っている。期間中は長崎新地中華街はもとより、メイン会場の湊公園、中央公園、孔子廟、浜市・観光通りアーケードなどの市内中心部に約1万5千個にも及ぶランタン(中国提灯)が飾られ、各会場には干支をかたどった大型オブジェが所狭しと並んでいる。私は常日頃から伝統や文化、しきたりは「生き物」だと感じている。時代と場所によって名称や解釈までも変化や変容し続ける、まさに生き物である。普遍的なものだと信じているものは、実は人が受け継ぐものなので、いろいろな要因で少しずつ変わってしまうのである。長崎は伝統・文化をしっかり継承しながらも自由闊達に受容し、新しいものを生み出す風土がある。そして、和洋中の折衷ともいえる長崎の文化は「和華蘭文化」と言われるようになった。写真6長崎ランタンフェスティバルCivil Engineering Consultant VOL.272 July 2016017