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特集長崎?文化の重なりがオリジナリティに?3おいしい長崎?中国・ポルトガル・オランダの影響を受けて?脇山順子WAKIYAMA Junko料理研究家長崎県美容専門学校非常勤講師長崎料理では、貿易によりもたらされた砂糖をたっぷり使うことが、客人へのもてなしの表現であった。ポルトガルやオランダを始めとした海外文化が、長崎料理へもたらした影響はどのようなものだったのだろうか。南蛮料理鎖国時代、長崎は唯一の開港地であったため、外国との貿易によって早くから珍しい食材や調理法が持ち込まれ、従来の日本料理にプラスして長崎ならではの独創性を発揮した。長崎の町は1571(元亀2)年、新しく南蛮貿易とキリスト教信者の保護のためにイエズス会の宣教師たちにより開港された。当時、ポルトガル人やスペイン人を南蛮人と呼び、彼らがもたらした料理を南蛮料理といった。宣教師の中には医者もいて、健康のために毎日ネギを食べていたので、ネギと南蛮が結びついた(カレー南蛮等)。南アメリカ産のトウガラシは南蛮船によって渡来し、唐辛子と名付け栽培された。また、栄養価の高い滋養に富んだ南蛮菓子やブドウ酒は、布教活動の一環として大きな役割を担い長崎の人の心を捉えた。今でも使用されているポルトガル語は砂糖関係のものが最も多い。紅毛料理こうもうじん毛髪が赤いオランダ人を紅毛人と呼び、彼らがもたらした料理を紅毛料理といった。長崎出島にあったオランダ商館員たちが食べていたのがターフル料理。オランダ語ではテーブルのことをターフル(Tafel)と言い、椅子に腰かけてテーブルで食事をする意味である。オランダ商館には「出島くずねり」と呼ばれる3人の日本人の調理人が長崎奉行所より派遣されていた。「くずねり」はポルトガル語で料理人を意味するクジネイルが語源であり、この3人が日本へ西洋料理を伝えた最初の料理人である。また、オランダから持ち込まれた食品には、麦酒、蘭酒(アラキ酒・チンダ酒)、じゃが芋、パイナップル、オランダ三つ葉(セロリ)、不断草、チシャ(サラダ菜)、トマト、チョコレート、ボートル(バター)、塩漬豚(ハム)、牛肉、コーヒーなどがある。当時、ボートルを牛かまぼこ(牛酪)と呼び、肺病の特効薬としたとの記録がある。オランダ正月料理長崎出島では、1683(天和3)年頃から西暦の1月1日を祝日として出島の出入り役人、オランダ通詞(通訳)、丸山遊女たちを招待してオランダ料理でもてなした。当時、日本の正月は旧暦で祝っていたので、長崎の人たちは・大蓋物味噌汁鶏かまぼこ玉子椎茸・大鉢潮煮鯛魚(たひ)??魚(あら)比目魚(かれひ)・鉢牛股油揚・鉢牛脇腹(わきばら)油揚・鉢豚油揚・鉢焼豚・鉢野猪股(ししのもも)油揚・蓋物味噌汁牛・蓋物鼈(すっぽん)木耳(きくらげ)一もじ・鉢野鴨全焼(かものまるやき)・鉢豚の肝(きも)を研(す)りて帯腸に詰(つむ)る・鉢牛豚すり合わせ同じく帯腸に詰納・鉢ボートル煮阿蘭陀菜・鉢ボートル煮萵苣(ちさ)・鉢ボートル煮にんじん・鉢ボートル煮蕪根(かぶら)・鉢豚臘干(らかん)(ハム)・鉢鮭臘干(スモークサーモン)・菓子紙焼カステイラタルタスーフカネールクウク丸焼カステイラ・その他パンコーヒー図1オランダ正月料理の献立018Civil Engineering Consultant VOL.272 July 2016