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おくのほそ道第14回港とともに「敦賀市」島根県広島県下関山口県尾道鳥取県岡山県国際航業株式会社/広報部高岡市惣慶裕幸SOKEI Hiroyuki(会誌編集富専門山委県員)群馬県小松市長野県ほっこくびより『兵名庫県月や京都北府国日大阪府香川県奈良県福島市出雲崎町福島県石川県新潟県須賀川市白河市福井県埼玉県敦賀市岐阜県山梨県東京都和定めなき』神奈川県栃木県茨城県千葉県佐賀県福岡県愛媛県高知県徳島県和歌山県大分県崎県熊本県宮崎県鹿児島県1日本三大松原の一つ、気比の松原松尾芭蕉が敦賀に到着した1689(元禄2)年旧暦8月14日は素晴らしい月だったが、秋の天気は変わりやすい。表題は、翌日の雨で期待していた中秋の名月を見られなかった芭蕉の句である。敦賀は湾奥に位置する天然の良港で、古代から日本海中部以西や遠く朝鮮、中国への玄関口になっていた。16世紀中頃には日本海最大の港町となり、1688(元禄元)年刊行の井原西鶴の『日本永代蔵』に「北国の都ぞかし」と記され、東北・北陸の物資中継を基盤にした商業都市として繁栄していた。1882(明治15)年に鉄道とつながった港になり、近江・美濃などに限られていた内陸部への商取引は近畿・東海地方に広がった。しかし1899(明治32)年に鉄道が富山まで延伸されるとその地位を奪われ、発展の望みは外国との貿易に託された。そして1902(明治35)年、敦賀~ウラジオストク直通航路が開設され貿易が本格化する。1912(明治45)年6月15日から週に1往復、新橋(東京)~金ヶ崎(敦賀)間に欧亜国際連絡列車が走り始め、シベリア鉄道経由でヨーロッパの主要都市を結んだ。東京出発後15日目にはロンドンに到着し、インド洋回りの船旅の約半分に短縮された。ソ連・朝鮮北部・中国東北地方との対岸貿易が盛んになると、阪神・中京を背後圏とする日本海側の主要な港湾都市として発展し、1937(昭和12)年に福井市に次いで県内2番目の市になった。リトアニア領事代理杉原千畝が発給した日本通過ビザを手に、1940~1941(昭和15~16)年に数多くのユダヤ人難民がウラジオストク経由で敦賀に上陸した。034Civil Engineering Consultant VOL.272 July 2016