ブックタイトルConsultant272

ページ
37/66

このページは Consultant272 の電子ブックに掲載されている37ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

Consultant272

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

Consultant272

2(上)天筒山から望む敦賀港(現在)3(左)天筒山から望む敦賀港(大正3年)『古写真が語る敦賀』より4(右)運河として利用された旧笙の川。今橋から上流を望む(昭和34年)『ふるさと敦賀の回想』より5(下)運河は大部分道路になった(現在)第2次世界大戦では日本海側の都市で最初に空襲を受け、市街地の2/3を焼失した。戦後は対岸貿易が途絶し、1940年代後半から1960年代前半は北海道や九州からの石炭中継港となった。1956(昭和31)年の日ソ国交回復後、木材・石炭・鉱物など工業用原料の輸入が増加し、1960(昭和35)年に取扱貨物量がようやく戦前の水準を上回った。1970(昭和45)年に北海道へフェリーが就航し、経済成長、港湾施設の整備、高速道路の整備があいまって取扱貨物量を伸ばしていった。船舶の大型化やコンテナ化といった物流の変化に合わせ、新港地区には大型フェリーに対応するフェリー岸壁や、コンテナ貨物などの増大に対応する日本海側最大級の多目的国際ターミナルが整備された。RORO船(roll-on roll-off ship:貨物を積んだトラックやトレーラーをそのまま運ぶ船)は韓国と、コンテナ船は韓国・中国と定期航路がある。国道8号バイパスや高速道路と港の接続も確保され、阪神・中京に一番近い日本海側の港として期待されている。敦賀港発祥の本港地区は、石油倉庫として建設された赤レンガ倉庫や復元された旧敦賀港駅舎を核に、明治から昭和初期の最も賑わった頃を意識し、市民や観光客が足を運ぶ空間として整備が進められている。レトロな港もよいが金ヶ崎城跡の月見御殿から見る新港地区とその背後にある石炭火力発電所・セメントてづつ工場もおもしろい。天筒山展望台からは本港地区だけでなく敦賀湾を一望できる。蔵や町屋が残る博物館周辺や、2kmに及ぶアーケードを歩けば、時代の波を何度も乗り越えてきた港まち敦賀を感じられるだろう。<参考文献>『敦賀市史通史編下巻』敦賀市役所昭和63年3月31日『敦賀の歴史』敦賀市役所平成元年11月30日「敦賀港国際ターミナル株式会社webサイト」http://www.tsuruga-port.co.jp/<写真提供>写真1、2、5筆者写真3敦賀市立博物館写真4敦賀市役所Civil Engineering Consultant VOL.272 July 2016035