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千枚田存亡の危機と保全白米千枚田は、高齢化や後継者不足により耕作の存続が困難な状況になっていた。このため、2006年に「白米千枚田愛耕会」が組織され、2007年から千枚田オーナー・トラスト制度の創設などにより耕作が維持されている。現在では白米集落の1戸のみが田植えを行っているが、残りの田は輪島市などが中心になり企業や団体、市民、ボランティア、観光客により田植えが行われている。収穫量は年間約6tある。地すべりと千枚田白米地区は標高4~60m、平均傾斜約14度の斜面に水田が開かれている。そしてこの地域の海岸付近は、地すべり地帯でもある。以前は年間約3cm滑動していたため、毎年春、水田の亀裂を補修する必要があった。白米地区では1970年から石川県が地すべり防止対策工事を実施し、地すべりを助長する地下水を排水する5つの集水井が設置されている。また、農林水産省による海岸護岸工事も行われ、現在、滑動は年1cm程度に収まっている。田んぼを潤す水の仕掛け白米千枚田は1632(寛永8)年頃、能登小代官に赴任中の加賀藩の土木技師・板屋兵四郎が築造したといわれる谷山用水とサソラ用水により水田開発が行われた。のた棚田を潤す水は、小富士山(424m)の北東斜面を水源とする野田川(谷山川とも呼ばれる)から簡単な堰で取水している。水路で導かれた水は、棚田群の最上段の田に落とされ、水口(ミト)を経て、上の田から下の田へ流される「田ごし」により配水されている。堰や水路などは測量技術を含む工事であったと想定される。素掘りの水路であったが、1970年頃から県によりコンクリート水路に改良された。白米地区は豊富な水源と一つの集落であったことから水争いは存在しなかった。なお、白米千枚田では伝統的な農事祭として「アエノコト」が国の重要無形民俗文化財に指定されている。この棚田の景観を維持する地元農家の高齢化が進んでいるが、未来にあり続けることを願ってやまない。<参考文献>1)輪島市交流政策部観光課HP、http://senmaida.wajima-kankou.jp/about/2)名勝「白米千枚田」保存管理計画、平成15年3月、石川県輪島市3)石川県能登半島の歴史と景観の形成過程、柳井清治、景観生態学19(2)161-168, 20144)世界農業遺産「能登の里山里海」情報ポータル、「能登の里山里海」世界農業遺産活用実行委員会、石川県HP<写真提供>1:輪島市交流政策部観光課2:筆者<取材協力>1)輪島市交流政策部観光課2)千枚田景勝保存会会長田中喜義2野田川(左)の堰と谷山用水(右)Civil Engineering Consultant VOL.275 April 2017031