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写真5本来の「江波巻」は丸かじりするため両端を閉じる写真4酢飯でなく温かいごはんで巻く「江波巻」重なときは漬物や芋、ちりめんじゃこやけずりぶしだけを巻いたそうです。江波巻は、見た目は巻き寿司に似ていますが、酢飯は使いません。巻き簾の上にさっとあぶった海苔を置き、その上に熱々ご飯を乗せ、刻んだ広島菜漬けやかつおぶしなどをし写真6生の海苔で作る「海苔汁」ょうゆで和えただけのシンプルな具を乗せて巻きます。時期は、例年12月ごろから2月末ごろまでです。収獲後実は最後の閉じ方に特徴があります。巻き簾は海苔をすすぐに板海苔に一次加工して出荷されるので、風味のくときにも使われた細い竹でできたものを使い、巻いた良い生海苔を味わえるのは地元の人でもごくわずかで後は巻き簾の上から両端をぎゅっと閉じます。これは海す。ご飯のお供の代表格「海苔の佃煮」も、生海苔を苔漁をする舟をこぎながら片手で丸かじりしても、具が炊いて作った佃煮はひと味違います。こぼれないようにするためだったそうです。店では、食べやすいように切ったものが出てきますが、本来の形を知わにって食べると味わい深いものです。県北の三次市や庄原市の郷土料理に「わに」があり他にも「大河鍋(海苔汁)」という汁ものがあります。ます。わにとはサメのこと。江戸時代に中国と貿易をすこれは、海藻の状態の生海苔を使った汁。真っ黒でびっる上での重要な輸出品の一つにフカヒレがありました。くりするかもしれませんが、海苔にはこんなうま味があ明治政府になってからもサメ漁が奨励され、島根県でったのかと気付かされます。盛んに行われました。目的はヒレや肝油を取ることであ現在、県内一の海苔の産地は福山市の南部に浮かぶったため、不要なサメ肉が広島県北部に運搬されるよう田島です。ここの海苔養殖は昭和40年代初めごろからになったようです。発展しました。海藻の採取から洗浄、裁断、海苔すきやサメは排尿器官が未発達なため体内に尿素を含んで乾燥など全作業が機械化されています。生海苔の収獲います。それが輸送中に分解されアンモニアに変化する020Civil Engineering Consultant VOL.276 July 2017