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2倒壊前の大煙突写真3日立市内から望む現在の大煙突煙害の激化と試行錯誤の煙突日立鉱山では事業の拡大とともに煙害問題が深刻化した。排煙中の亜硫酸ガスにより鉱山周辺の農作物に大被害を発生させるとともに、周囲の山々の森林を枯らした。地元への補償金は増加する一方で抜本的な防止策が求められた。そこで、亜硫酸ガスを空気で希釈して排出するという、当時の排煙対策の主流に沿った対策を試みた。山の尾根に全長1.6kmもの煙道(百足煙道)を設置して途中に多くの排気穴を配してみたり、煙突内で強制的に空気と混合希釈してから排出するダルマ煙突(命令煙突)などが建設されたが、十分な効果を上げることができなかった。大煙突の建設と亜硫酸ガスの克服こうした試行錯誤を踏まえ、高所の安定した風で亜硫酸ガスを拡散・希薄化する目的で、1914年に精錬所の裏山の中腹、海抜325mの地点に鉄筋コンクリート製で高さ155.7m、頂上の内径約7.8mの大煙突を作ることとした。当時、米国の製錬所の煉瓦煙突152mを超える世界一の大煙突であった。大煙突は着工後わずか9カ月足らずで完成し、翌年の3月から稼働した。同時に製錬所の周囲に気象観測所のネットワークを整備し、風向きなどで煙害が悪化しそうになると操業を大幅に抑えるなどの煙害防止に努め、著しい効果を上げた。1972年には、製錬で発生する亜硫酸ガスのほぼ全量を硫酸製造に使用する自溶炉法の製錬所が完成し、無公害化を達成した。大煙突完成後に亜硫酸ガスに強いとされるオオシマザクラをはじめとした苗木500万本を地域や近隣企業に無償配布し、日立鉱山のものと合わせて1,000万本以上を本格的に植林したことにより、山々には再び緑が蘇り、中でも盛んに植えられたサクラは日立市の花となっている。町のシンボル日立市内の至る所から望め親しまれていた大煙突は、老朽化により1993年に下部1/3を残して倒壊し、市民に大きな衝撃を与えた。しかし、今なお煙(水蒸気)を排出する現役の煙突でもあり、JR日立駅から北西を望むと、山並みの中に大きな煙突をはっきりとみることができる。2017年4月、大煙突の建設をめぐる人間模様を描いた新田次郎の小説『ある町の高い煙突』の映画化が発表された。工業都市日立を見守ってきた大煙突に再び注目が集まろうとしている。<参考文献>1)『ある町の高い煙突』新田次郎1978年文春文庫2)『大煙突の記録-日立鉱山煙害対策史』1994年2月株式会社ジャパンエナジー、日鉱金属株式会社編<写真提供>12:JX金属グループ日鉱記念館3:筆者<取材協力>JX金属グループ日鉱記念館Civil Engineering Consultant VOL.276 July 2017031