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北岸から望むハーバーブリッジ第72回港湾都市シドニーのゲート「ハーバーブリッジ」オーストラリア、シドニー株式会社千代田コンサルタント/本社事業部総合計画室-有賀圭司/ARIGA Keiji(会誌編集専門委員)■シドニーの顔シドニー湾に面して建ち並ぶビル群と岬に佇むオペラハウス。湾を跨いでそびえるハーバーブリッジ。シドニーと聞いて多くの人々が思い浮かべる風景ではないだろうか。オーストラリア・シドニーは人口400万の大都市であり、ハーバーブリッジはその中心街とシドニー北岸の郊外部を結ぶ橋梁である。完成は80年以上前になるが、今でも1日の交通量は15万台を数える大動脈でもある。サーキュラーキーなどの港からは様々な船舶が発着し、日々、橋の下を行き来している。このようにハーバーブリッジはシドニーの風景においても、人・物の動きにおいても欠かせない存在となっている。なぜハーバーブリッジは建設されたのだろうか。■シドニー発祥とアメリカ独立ハーバーブリッジの建設はシドニーの発祥が大きく関わる。そしてシドニーの発祥は、遠く離れたロンドンの事情、ひいてはアメリカの独立と繋がりがある。18世紀末、イギリス・ロンドンでは都市部への人口流入による治安の悪化や犯罪が多発し、大きな社会問題となっていた。拘束した犯罪者は当時植民地であったアメリカで、労働力として買い取られる仕組みが構築されていた。しかし、1776年に独立を果たしたアメリカが流刑者の受け入れを拒否したことから、イギリスは彼らを送り込む代替地を探す必要が生じた。そしてアフリカのナミビアなどの世界中の植民地から候補を検討した結果、オーストラリアのボタニー湾が選定されたのである。選定から15年ほど前のジェームズ・クック船長の報告では、ボタニー湾周辺は肥沃な草原であり農牧に適した土地とされていたため、イギリスは11隻の船団を仕立てて流刑者をボタニー湾へと送り込むことになった。彼らは短い刑期ののち、その地域で自立型の居留地をつくることを求められており、流刑者とはいえ新たな土地を切り開く活力にあふ040Civil Engineering Consultant VOL.276 July 2017