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Consultant276
地であるマカティ市はフィリピンのウォール街といわれており、フィリピン最大のディベロッパーAyala Landが広大な空軍基地跡地を開発してきた。また、ビジネス街・高級住宅地として新たに開発が進められているタギッグ市の「ボニファシオ・グローバルシティ」は、緑の公園を囲む形でオシャレな商業施設が軒を連ねる「ハイ・ストリート」を中心に、高級マンション、大手企業や国際的な金融機関の高層オフィスビルが建ち並ぶ。歴史フィリピンでの人類の歴史の始まりは紀元前約2万5,000年前とされている。この頃のフィリピンの島々はまだアジア大陸の一部だったが、紀元前1万年頃に大陸から分離した。それと同時にマレー人(原始、古、新)が移住し、このマレー系民族が今のフィリピン人の祖先となった。フィリピンは東南アジアと東アジアの中間地点ということもあり、交易が非常に盛んな地域であった。14世紀後半頃からイスラム教徒が渡航するようになり、マニラをはじめイスラムの町へと変貌していった。しかし、現在はASEAN唯一のキリスト教国(国民の83%がカトリック、その他のキリスト教徒が10%)であり、イスラム教徒は5%程度である。その後、1521年のマゼラン来航から19世紀の終わりまでスペインの支配下に置かれた。フィリピンも植民地化に抵抗するため、幾度となく反乱を起こしたが、すべて失敗に終わっている。19世紀末、フィリピンの国民的英雄となるホセ・リサールによって本格的な独立運動が行われた。アメリカからの支援もあり、1898年にフィリピンはスペインからの独立を成し遂げた。しかし、植民地化するために支援したアメリカは、スペインから独立後、すぐにフィリピンを植民地としてしまう。フィリピンも抵抗すべく戦争を起こしたが、成す術もなく鎮圧されてしまう。第二次世界大戦中は日本軍により占拠されたが、戦後の1946年にフィリピンはアメリカからの再独立を果たす。独立国家になってからも、マルコス独裁やアジア通貨危機といくつもの困難に直面した。しかしながら、アジア通貨危機の際には他のアジア諸国と異なり、比較的早い段階で経済回復を成し遂げたため、IMFの管理下に置かれることはなかった。また、長年の懸案であったミンダナオ島を活動拠点とする南部武装ムスリム勢力(モロ・イスラム解放戦線)との和解交渉が成立した2014年以降は、ミンダナオ島にもアメリカなどからの直接投資が入り始めた。現在のフィリピンは人種が融合する国家となり、スペイン、中国、欧米、東アジアなどの混血が進んでいる。写真2ボラカイ島の市場経済フィリピンに住む華僑は1,000万人ほどおり、そのうちの中国語を話し、中国人の生活様式で生活している中華系の100万人がフィリピン経済の90%以上を掌握しており、フィリピンを動かしていると言っても過言ではない。また、フィリピンの経常収支は1,000万人に及ぶ海外在住労働者の送金によって支えられており、出稼ぎをしている看護師はフィリピンの有力な産業となっている。フィリピン人は世界で三番目の英語圏の国と言われており、多くの人が流暢に英語を操るので、海外でもすぐに仕事を始めることができる。気候や自然フィリピンは熱帯地方に位置し、赤道に近いことから年間の温度変化は少なく、気温が20~38℃の範囲を超えることはごく稀である。しかしながら湿度は年間を通してとても高い。乾季は12月の後半から5月にかけてで、残りの期間が雨季となる。雨季は雨により熱気が幾分抑えられる。雨が一日中降ることは稀で、短時間に激しく降るスコールがCivil Engineering Consultant VOL.276 July 2017045