ブックタイトルConsultant277

ページ
28/60

このページは Consultant277 の電子ブックに掲載されている28ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

Consultant277

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

Consultant277

特集スポーツ?スポーツで「つながる」?6釜石にはラグビーの力がある浜登寿雄HAMATO Toshio釜石シーウェイブスRFC理事釜石の地に根付いたラグビーは市民の誇りとなった。一企業傘下のチームから市民チームへの生まれ変わり、東日本大震災での被災などの困難は、市民とチームの絆を強くした。震災からの復興をラグビーが紡ぐ力で進めようとする釜石での取り組みを紹介する。北の鉄人の片田舎に居ながらも、日本選手権で連覇を重ねるチ皆さんは「釜石シーウェイブス」というスポーツチームームは釜石市民、岩手県民、いや東北人の誇りでもあっをご存知だろうか。かつて前人未到と呼ばれた日本選たと言っても過言ではなかろう。そしていつしか彼らは手権7連覇を成し遂げた「新日鉄釜石ラグビー部」と言「北の鉄人」と呼ばれるようになった。えば頷いてくれる人も多かろう。昭和50年代に地元の高卒選手を鍛え上げ、数名の大卒の選手と共に、正に立ち上がった釜石の有志たち鋼と化したチームは並み居る強豪を次々と打ち破り、全その北の鉄人も日本選手権7連覇以降は低迷を余儀国社会人大会を制した。そして、1976年1月15日に国立なくされた。そして2000年、新日鐵本社が社内運動部競技場で行われた日本ラグビーの最高峰「日本選手権」の単独運営をやめる方針を打ち出した。同時期、名門とに出場し、若さとスピードを武器に向かってくる大学チ呼ばれたいくつかの企業スポーツチームが廃部となっャンピオンのチームを退け日本一の栄冠を勝ち取った。連覇は続き、いつしか偉業でありながらも風物詩のごとく思えるようになった。それくらい新日鉄釜石ラグビー部は強かったのである。決してスタープレーヤーの集団ではない。冬のグラウンドは寒さのあまり凍土と化し、北国と呼ばれながらも夏は35℃を超える日もある。そんな条件の中で、ひた向きに黙々と厳しい練習をこなす。そして試合となれば、時に力強く、時に華麗なプレーを繰り広げ、観る者を魅了した。日本一を果たして釜石市に戻ると、駅前での優勝報告会と市内目抜き通りでの凱旋パレードが行われた。かつて日本のチベットと呼ばれた東北写真1 第2 0回(1982年)日本選手権新日鉄釜石対同志社大学026Civil Engineering Consultant VOL.277 October 2017