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ていた。そのためもあってか、新聞紙上では「新日鉄釜石ラグビー部廃部」「伝統の灯消える」などのマイナスイメージの見出しが先行した。しかし真意は、企業の業績に左右されず「長期的に存続が可能な地域密着型のスポーツチームに移行し、新日鐵がそれを支援する」というものであった。また、クラブチーム化することで新日鐵の社員でなくともチームに所属できることになる。多くのラグビー選手に門戸を開く素晴らしい取り組みに思えた。だが一つの障壁があった。日本ラグビー協会の規約では「単独企業のチーム」でなければ社会人リーグに参加できないのである。つまりはクラブ化されて単独企業のチームでなくなる釜石は、社会人リーグ、更には日本選手権へ出場することができない。このままでは市民や釜石ファンの悲願である「もう一度日本一へ」の夢が絶たれることになる。この窮地に立ち上がったのは市民の有志たちだった。「自分たちの勝手な活動でチームに迷惑をかけてはいけない」として「私設応援団(故佐野隆夫団長)」と銘打って、釜石の新生クラブチームが社会人リーグへ参加できるように日本ラグビー協会へ働きかけるための署名活動を行った。今のようにインターネットやSNSなどが普及していたわけでもない。しかしながら人口5万人に満たない小さな街の有志たちの活動は、予想を上回る大きな反響をみせた。わずか数週間で1万5千人近い署名が集まったのである。活動を知った人たちが次々と署名を呼び掛け、全国に拡散していった。私設応援団の事務局となっていた釜石市のサノスポーツのファックスは、絶え間なく送られてくる署名のために、本業の注文書が届かないというハプニングが相次いだ。「これまで新日鉄釜石ラグビー部は大勢の人たちに元気と勇気、希望を与えてくれた。今度は自分たちが釜石ラグビーの力になりたい!」との想いが通じ、2000年12月24日、日本ラグビー協会は釜石の新生クラブチーム(現釜石シーウェイブスRFC)のリーグ戦参戦を認めた。市民と地域スポーツが真に結びついた瞬間に思えた。写真2 支援物資を運ぶピタ・アラティニ写真3オーストラリア帰国後も釜石を想い続けるスコット・ファーディー震災を乗り越えて釜石シーウェイブスの活動は先駆的なだけに困難も多かった。選手の獲得や選手雇用先の開拓だ。それでも徐々に力を付け、悲願のトップリーグ昇格に手が届きそうになった矢先の2011年3月11日14時46分、宮城県沖を震源とするM9.2の大地震が発生した。今までに経験したことのない大きな揺れだった。その後に発生した巨大津波は一瞬にして大勢の尊い命や、沢山の大切なものを奪い去った。選手や選手の家族に直接の被害はなかったものの、住居が津波被害に遭うなど選手やスタッフの生活は一変した。言うまでもなく釜石市も大きな被害を受けた。当然ラグビーどころではない。チームの存続も危ぶまれる中であったが、選手たちは「今、自分たちができることをやろう!」と支援物資の運搬や介護施設などで、力作業のボランティア活動を率先して行った。チームには外国人選手も数名所属していた。震災後、母国の大使館から迎えも来たが、彼らは異口同音に「釜石市民は我々を温かく迎え、家族のように面倒をみてくれた。ここは第二の故郷だ。その故郷で家族が困っている時に自分たちだけ帰る訳にはいかない」と応え帰還を断った。釜石で3年間プレーし、その後オーストラリア代表にも選ばれ、2015年ラグビーワールドカップでも活躍したスコット・ファーディーや、釜石で7年間プレーした元ニュージーランド代表のピタ・アラティニたちは、2012年以降に祖国へ戻った後も釜石への想いを発信し続けてくれている。Civil Engineering Consultant VOL.277 October 2017027