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梅の花香る好文亭第73回梅の花香る「水戸偕楽園」茨城県、水戸市八千代エンジニヤリング株式会社/経営企画本部/経営企画部-箕輪知佳/MINOWA Chika(会誌編集専門委員)■世界第二位の都市公園茨城県水戸市にある偕楽園は、石川県金沢市の兼六園、岡山県岡山市の後楽園とともに日本三名園の一つに数えられる。春は桜やつつじ、秋には萩、冬は二季咲桜と1年を通して様々な花が季節を届けてくれるが、偕楽園と言えば何と言っても2月下旬から3月下旬にかけてかぐわしい早春を告げてくれる100種3,000本の梅が有名である。1842(天保13)年に建設された当時の規模は、現在の常盤神社の境内を含み14.7haであったが、1993(平成5)年に大規模公園として整備されたことにより、偕楽園の南東に位置する周囲約3kmの千波湖が「偕楽園公園」の一部となり、規模が300haとなった。これは、都市公園としてはニューヨーク市のセントラルパークに次ぐ世界第2位の広さである。2015(平成27)年には近世日本の教育遺産群として日本遺産にも認定された。■偕楽園を造った徳川斉昭なりあき偕楽園は水戸徳川藩第9代藩主徳川斉昭により、水戸城下郊外の常盤村に創建された。造園構想は斉昭自らが行った。江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の実父でもある斉昭は、しごう諡号の「烈公」からも分かるように、まさに幕末をその荒々しい気性で生き抜いた人物であった。斉昭は1800(寛政12)年3月、水戸藩江戸小石川藩邸でせいしさい生まれ、会沢正志斎のもとで水戸学を学び聡明さを示した。幼少期から水戸学の影響を受けていたため開国には猛反対していたが、西洋の物品には大いに興味を示したといなりのぶう。1829(文政12)年、第8代藩主斉脩が病で亡くなったため、弟の斉昭が30歳で家督を継いだ。斉昭は漢学、国学、書道、絵画、音楽、茶道、さらに文芸百般にわたって専門家より教育を受け、また熱心に身に着けようと学んでいた。「日本はどういう国柄であるのか」「政治の焦点はどこにあるのか」「世界の情勢はどうなっている040Civil Engineering Consultant VOL.277 October 2017