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る知識も豊かだったことがうかがえる。写真2弘道館の正門と正庁写真3偕楽園碑たため、外見は2階建てだが中は3階建ての2層3階建てとなっている。1945(昭和20)年の水戸空襲により焼失したが、1955(昭和30)年から3年かけて復元された。また、あまり知られていないが、日本で初めて設置されたといわれている木製エレベーターがある。食事などを1階から3階まで運ぶためだが、いざという時の緊急避難路のためにと斉昭が考案した。他にも眺望や風通しと採光に優れた3連障子、戸を開けなくても中の様子がうかがえる特殊な取っ手、約8,000もの韻字(漢詩文で韻をふむために句末に置く字)が書かれた辞書代わりの板戸など、好文亭は一風変わった工夫が随所に施されており、他に例のない建物である。職業的な建築家が存在しなかった当時、大工職に全てを任せるか、もしくは意を凝らす必要のある場合は、建築主が自ら大工にその計画を示さなければならなかった。このことからも、斉昭が科学的素養に富み、土木建築に関す■文武両道の弘道館水戸藩校の弘道館は、日本最大となる17.8ha(東京ドームの約4倍)の敷地を有しており、これほど広い藩校は他藩では例を見なかった。敷地には学問を学ぶ文館、武術を修練する武館の他、医学館や天文台、馬場、調練場等はっがあった。敷地の中央に立つ八けどう卦堂には『弘道館記』を刻した石碑「弘道館碑」が納められた。『弘道館記』は斉昭が草案きごうし、自ら揮亳したもので、設立理念を文章化したものである。中心となる考えは徳川家康の「尊王攘夷」の功績を称え、その志を継いだ水戸藩士が実践的な教育訓練をする場として設立されたことが記されている。弘道館の建設は斉昭が推進した藩政改革の中でも重要な施策の一つである。鎖国を続けていた日本に対し、開国や貿易を迫り、ついには水戸藩の海岸にまで現れた外国船に危機感を募らせた斉昭は、日本の独立を守り、国や藩を写真4偕楽園内から千波湖を臨む図2徳川斉昭直筆の好文亭設計図042Civil Engineering Consultant VOL.277 October 2017