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写真5当時の姿で佇む表門写真6紅に染まるもみじ谷発展させるには優れた人を育てることが大切だと考え、人を教育するための学校開設を決意した。ここでは学問と武芸の両方を重視した文武両道の教育が行われ、バランスの取れた人間の養成を教育目標とした。門閥派を抑えて下士層から広く人材を登用するために、藩士とその子弟のうち15~40歳までの者すべてに弘道館入学が義務付けられていた。15歳未満は私塾で学ばせ、塾の指導者からの申請により随時入学を許可するというシステムである。また、生涯教育を原則としたため、40歳以上の登校は任意であった。弘道館は一見して偕楽園とは何の関係も無いように見えるが、実は深い繋がりがある。『偕楽園記』によると、「礼記」いっちょういっしにある「一張一弛」(厳しいだけではなく、時には緩めることも大切だという考え)に基づき、「弘道館は『一張』、偕楽園は『一弛』である」と明確に位置づけられている。つまり、弘道館が文武修行の場であるのに対し、偕楽園は修行の余暇を利用した休養の場なのである。弘道館も偕楽園同様、2015(平成27)年に近世日本の教育遺産群として日本遺産に認定された。創建当時から現存する正庁、至善堂、正門は重要文化財に指定されている。■偕楽園の楽しみ方偕楽園に正規ルートがあるのをご存じだろうか。現在は多くの人が東門から入園しているが、開園当時から現存する好文亭表門(正門)から入ると、まっすぐに伸びた孟宗竹林や大杉森に囲まれた静寂な世界が広がる。その道を抜けて中門をくぐると、急に梅の香りが漂う明るい世界が目の前に広がる。これが斉昭の作った「陰から陽への世界」である。この暗さと明るさの対比には、儒教の精神が反映されているという。この約1,000本の竹は弓の材料として京都男山の竹を移植したもので、ここでも軍事目的のためにという斉写真7表門から広がる孟宗竹林を仰ぐ昭の周到さが垣間見える。梅をはじめ、四季折々で美しい表情を見せてくれる偕楽園。170年以上も前に斉昭が命名した名の通り、現代の世でも多くの人々に愛されているが、建設に至った真の目的を知ると、また違った視点で楽しめるのが面白い。<参考文献>1)『水戸の心』関弧圓1997年川又書店出版部2)『偕楽園歳時記』松崎睦生1978年暁印書館3)『水戸茶道史考』伊豆山善太郎1988年新いばらきタイムス社4)『偕楽園の現状調査報告書』1979年茨城県5)『史跡名勝常磐公園内好文亭及び庭園復元工事報告書』1961年茨城県6)『水戸の日本遺産を歩く』水戸市7)『大名庭園』白幡洋三郎2013年平凡社<取材協力・資料提供>1)茨城県水戸土木事務所偕楽園公園課2)大洗町幕末と明治の博物館3)茨城交通株式会社<写真提供>P40上、写真1、2、6茨城県水戸土木事務所図1大洗町幕末と明治の博物館/茨城交通株式会社図2文献4より写真3高橋真弓写真4文献7より写真5塚本敏行写真7箕輪知佳Civil Engineering Consultant VOL.277 October 2017043