ブックタイトルConsultant278
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Consultant278
僕は東京駅から歩いて3?4分の京橋の生まれなんですよ。戦後の1 9 4 8年生まれで、当時自宅の前の道は舗装されておらず、大通りは都電が通り、東京駅には蒸気機関車があって、よく石炭置き場で遊んで怒られたんですけどね。焼け跡、空き地、瓦礫、壊れたビルなど戦争の傷痕がまだ多かったけど、最高の遊び場だった。戦争の傷痕は知っているけど戦争自体は知らない。ものがない時代からある時代に変わっていく頃だったんです。八重洲通りでは、バナナのたたき売りだとか、焼け跡で拾った万年筆を売ってる。銀座にだって屋台がありましたからね。しろきや自宅の前に大丸、日本橋には高島屋や白木屋、銀座へ行けば松坂屋や三越などのデパートがあって、路地でビー玉やめんこ、缶蹴りなどのお金が掛からない遊びをしていました。デパートではおもちゃを売っていたけど、買ってもらったのは誕生日とクリスマスくらい。その中でも記憶にあるのが、『禁断の惑星』という映画に登場したロビーロボうちットのブリキのおもちゃ。すごく欲しいと思って、8歳の時に買ってもらったんだけど、中を見たくて何度もドライバーでこじ開け、完膚なきまでに壊してしまいました。日本は第一次世界大戦以降、おもちゃの生産国だったんです。人件費が安く、出来がいいから外国から多くの注文が来ました。戦後、早い時期におもちゃ工場は再開して、占領下なのでオキュパイド・ジャパンと刻印されたおもちゃは、輸出品だったけど国内でも売っていた。造り手の状況は過酷で、空襲があった下町の焼け残った建物やバラックで、残っていたプレス機械やハンマーで造ってた。材料はアメリカ軍の放出した空き缶で、内側はチョコレート缶こすげのジやココア缶のラベルが残ったまま。その中でも「小菅ープ」はすごく良く出来ていた。物がない時代によく造ったよ。外国製のおもちゃを見よう見まねで造り始め、日本人の向上心がオリジナルを越えて、雰囲気があって大人の鑑賞に堪え得るものを造ってしまう。生きることへの情熱を特集土木遺産XV戦後復興の頃008Civil Engineering Consultant VOL.278 January 2018